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稲荷講
ウェブサイトへの記事掲載と常設展示室でのギャラリートークの連動企画「今月の逸品」は、当面の間、ウェブサイトのみでの展開とし、詳しい解説で学芸員おすすめ資料の魅力をお伝えします。
2023年2月の逸品
稲荷講
今年の初午(はつうま)(2月最初の午の日)は、2月5日です。今月の逸品は、初午に行われる稲荷講の資料をご紹介いたします。
日本各地には、京都の伏見稲荷大社をはじめ、家々にまつられる屋敷稲荷からデパートの屋上の稲荷祠(いなりし)まで数えきれないほど多くの稲荷社があります。稲荷神は、稲をつかさどる倉稲魂(うかのみたま)のことで、稲を象徴する農耕神です。しかし、次第に農耕神だけでなく漁業神や商業神など人々の現世利益を成就する神とされ、狐を稲荷神の使いとする俗信も加わって広く信仰を集めてきました。
稲荷講とは、こうした稲荷神を信仰する人たちが初午に祭礼や参詣をするための組織です。「いなり」は、元々「稲生り(いねなり)」の意味がありましたが、後に稲を荷(にな)う神の姿から稲荷の文字があてられるようになったといわれています。旧暦2月の初午は農事開始の時期にあたりました。稲荷信仰は田の神信仰との結びつきも強く、ここから始まる農作業に先駆けて、人々は稲荷神に豊年を祈願したと考えられています。
神奈川県の稲荷講
神奈川県内でも初午に稲荷講を行っている地域が多くあります。初午が節分の前に当たる年や、丙午(ひのえうま)の日に当たる年は、ヒバヤイ(日早い・火早い)ので火事が多いとされ、二の午に日をずらして実施するところもありました。また、講によっては、2月11日(建国記念の日・祝日)に祭日を定めて行っている場合もあります。
県内の稲荷講の事例をみると、[1]各家で屋敷神の稲荷祠をまつる場合、[2]屋敷神の稲荷祠をまつり、それに加えて血縁的・地縁的に組織された講員が当番を持ち回りで行う場合、[3]本家に稲荷祠があり、分家が本家の稲荷を中心に集まる場合などがあります。いずれも初午には稲荷社やヤド(当番の家)の前に「奉納稲荷大明神」などと書いた幟(のぼり)(図1)や、五色の紙を貼り合わせて作った幡(はた)(図2)を掲げ、油あげ・鰯などの魚・藁苞(わらづと)に入れた赤飯(図3)などを供えます。ヤドには講員が集まり、床の間に掛軸を掛け(図4)、赤飯・煮しめ・魚・なます・酒(図5)などのハレの日の食事で共同飲食します。
地域や時代によって差がありますが、稲荷講は、かつて仕事を数日間休んで子どもから大人まで参加するまつりでもありました。この時、小正月で燃やさなかった正月飾りをお焚き上げしたり、子どもたちが主となり太鼓を叩いて家々を廻ったりする行事も行われました。三浦市域では、稲荷講の時は自宅の台所を使わないため「ナベカケズ」といい、講員の家族全員が朝昼晩の食事をヤドでご馳走になったといいます。また、この日に湯立神楽(※1)も奉納されました。さらに、無尽講(※2)や賭け事、ホッピキ(宝引)(※3)が行われたという事例もしばしば聞かれ、稲荷講が人々にとって娯楽の場であったこともうかがわれます。講の代表者が遠方の稲荷社に参詣する代参も行われましたが、総本宮である京都の伏見稲荷大社まで代参する講は少なく、秦野の白笹稲荷神社への代参の事例が多く報告されています。
今回ご紹介する資料は、三浦市初声町三戸神田地区の「稲荷講中買入帳」です。これは、江戸時代末期から昭和28(1953)年までの稲荷講の記録です。当地の稲荷講は「いなりっこ」と呼ばれ、地縁的な集まりで集落の寺院境内にある稲荷社をまつるために行われてきました。買入帳は全部で8冊あり、講で使用するために仕入れた品とその購入金額、ヤドや参加者の氏名のほかに、稲荷社の新築や、講員が不参加だった時の取り決め事が書かれています。参加人数は少ない年で8人、多い年は17人で実施されていました。
今から100年前の大正12(1923)年の記録を見てみましょう。参加者は14人。購入品として「酒、紙、コブ(昆布)、酢、砂糖、ハス(蓮)、カラシ、醤油、漁(魚カ)、豆腐、アゲ(油揚げ)、アマサケ(甘酒)」とあり、合計額は26円71銭だったことが記載されています(図6)。講に際しては、ハス(蓮)以外の野菜も準備したと考えられますが、購入はせず自家で育てた野菜を使用したのかもしれません。
県内ではかつて盛んに行われていた稲荷講の多くが衰退しつつあります。しかし神田地区では今でもなお稲荷講が行われています。当番の家では1月28日に幟を立て、初午当日には稲荷社に赤飯や鮪の刺身を供えます。当日の夜は、講員が共に飲食をして親睦を深め、まつりが終わるとすぐに幟と帳簿を翌年のヤドに預けて保管しているそうです。
神奈川県で「いなりっこ」といえば、三浦いなりっこ保存会による三崎の伝統芸能「いなりっこ」がよく知られています(図7)。「いなりっこ」は稲荷講が訛った言葉ですが、三崎地区の稲荷講では子供たちが面をつけて踊るところに特徴がありました。昭和37(1962)年に一度途絶えましたが、昭和48(1973)年に復活し、平成14(2002)年に三浦市無形民俗文化財に指定されました。現在では、毎年2月11日に海南神社で奉納され、10月に三浦市民ホールにて発表会が開催されています。
現代社会における2月は受験や確定申告の季節。年度末も近づき、誰にとっても落ち着かない気ぜわしい時期ですが、当館の常設展示室に足をお運びいただき、初午に行われる稲荷講の賑やかな様子を想像してご覧いただけたら幸いです。
(三浦 麻緒・当館非常勤学芸員)
画像
図1:稲荷の幟(横浜市金沢区芝町)/天明9(1789)年
図2:稲荷の幡(横須賀市久比里)/昭和44(1969)年
図3:藁苞に入れた赤飯(藤沢市遠藤)/平成6(1994)年2月撮影
図4:白笹大明神御影の掛軸(秦野市今泉)/年代不明
図5:稲荷講のご馳走〈複製〉(三浦市南下浦町松輪)/五色の煮しめ(里芋、人参、牛蒡、椎茸、昆布)、カサゴの煮魚、なます(大根、人参)、赤飯、味噌汁(豆腐、ワカメ)、酒
図6:稲荷講買入帳~大正13(1924)年の記録~
図7:いなりっこ/令和2(2020)年2月11日撮影
参考文献
直江広治編『稲荷信仰』1983 雄山閣
県内各市町村発行民俗調査報告書
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