展示
御上洛東海道
ウェブサイトへの記事掲載と常設展示室でのギャラリートークの連動企画「今月の逸品」は、当面の間、ウェブサイトのみでの展開とし、詳しい解説で学芸員おすすめ資料の魅力をお伝えします。
2023年5月の逸品
御上洛東海道
はじめに テーマ3の浮世絵
当館の常設展示近世のコーナーでは、現在の神奈川県域の風景を描いた浮世絵を紹介しています。風景を描いた浮世絵といえば、初代歌川広重の東海道シリーズや葛飾北斎の「冨嶽三十六景」が思い出されることでしょう。このコーナーでは神奈川県域にあった川崎から箱根までの東海道の宿駅9宿を一宿ずつ順番に、そのほかに東海道以外の名所の浮世絵も紹介しています。
今回の展示では、緊張が走る幕末の政情のなかで出版された「御上洛東海道」と呼ばれるシリーズから神奈川県域を描いた作品を中心に紹介します。
「御上洛東海道」
十四代将軍徳川家茂(1846-66)は公武合体のために文久3(1863)年2月13日江戸を出発し、3月4日に京都に到着、7日に孝明天皇(1831-66)に拝謁します。大坂、紀州などへも足を伸ばした後、江戸へは6月16日に戻りました。将軍の上洛は三代将軍家光以来の229年振りの大事件で、この長い旅は浮世絵の題材となりました。
当時の出版統制下では、将軍の旅を直接的に表現できないはずですが、大名行列が描き込まれた街道風景を描いた大判(タテ35㎝、ヨコ24㎝くらい)や大判三枚続(タテ35㎝、ヨコ72㎝くらい)の浮世絵が数多く出版されました。誰ともわからない大名行列を描いた名所絵ですが、これらの浮世絵は明らかに将軍の上洛を思い起こさせたに違いありません。これらの浮世絵の中で大判に描かれたものは、「御上洛東海道」と呼ばれています。
「御上洛東海道」の作品には、「東海道」「東海道名所之内」などのいわばシリーズ名に地名を加えた題名が付けられています。「東海道名所風景」の題名のある目録(国立国会図書館ほか所蔵)には、15人の浮世絵師の名と計155点の名称が記されています。しかし、美術館・博物館などでの収蔵がほとんど確認されない作品もあって全容は掴みづらいのですが、実際には16人の浮世絵師によって複数の版元から出版された164点(管見の限り。目録などは含まず。)が一連の作品と思われます。文久3年4月の検閲印がある作品が大部分ですが、その出版事情には謎が残ります。
浮世絵シリーズで160点強という数は、初代広重の「江戸名所百景」(初代広重分で118点)や三代歌川豊国による通称「役者見立東海道」(130点強)を超える大シリーズです。通常の東海道五十三次のシリーズが55点、紙の大きさによっては56点で完結するのに比べて、3倍近くの点数となっています。
目録と照合しながら見ると、日本橋を出発して京都にたどり着くまで、宿駅以外にも宿駅の間にある間宿(あいのしゅく)と呼ばれる休憩のための宿駅や、ほかの名所も描かれていることがわかります。さらに、京都到着後も将軍家茂の行動をなぞるかのように、京都の名所や紀州(和歌山)や兵庫などを取り上げた作品が続きます。
16人の浮世絵師たちは(表1)の通り、当時長老の歌川豊国(三代、1786-1864)と初代歌川広重(1797-1858)と歌川国芳(1798-1861)の弟子などですが、分担枚数はまちまちです。
現在の神奈川県域が描かれた「御上洛東海道」
さて、展示の中心となる神奈川県域が描かれた「御上洛」の作品を紹介します。ちなみに、将軍家茂は2月13日に江戸を出発して川崎に宿泊、16日には三島に到着するので、実際には4日程度の旅程で現在の神奈川県域を通過しました。
「御上洛東海道」で神奈川県域を描いた作品は33点(表2)確認できます。「東海道名所之内 権太坂」(図1、暁斎)「箱根畑」(芳虎)のような間宿だけでなく、東海道から分かれていく、しかも実際の将軍の旅の行程にはなかった「鎌倉金沢」(図2、二代広重)や「江之島」なども描かれています。家茂はこの時、満年齢で17才近く。版元や浮世絵師たちは鎌倉や金沢八景、江の島などの有名な観光地を若い将軍に楽しませたかったのかもしれません。
また目録の一つの名称で2点作品が確認されるものがいくつかあります。その一つである「江之島」は、展示で紹介している行列が江の島へ向かっている「東海道名所の内 江之島」(図3、貞秀)と、江の島の岩屋前で海中に潜ってアワビをとる海女を将軍一行と思われる集団が見守る様子の上半分を二代広重、下半分を四代豊国で分担したと推測できる「東海道名所の内 江之島」(図4)があります。また、由比ガ浜は貞秀と芳年、小田原は二代広重と二代国輝の作品が確認されています。
一つのシリーズでありながら「御上洛東海道」の一連の作品は、描かれた光景に統一性が感じられず、浮世絵師たちが自由に個性を発揮し、それこそがこのシリーズの面白さであるように思います。その個性を展示中の作品で見てみましょう。
浮世絵や狩野派を学んで幕末・明治期に活躍した河鍋暁斎(1831-89)の「東海道名所之内 権太坂」は美味しそうに餅を頬張る様子(図5)が生き生きと描かれています。また、横浜をはじめとする日本各地を鳥瞰図で描いた五雲亭貞秀(1807-没年未詳)は、他の自身の鳥瞰図と同様に「東海道名所の内 江之島」で赤い短冊で「岩本院」「三重塔」(図6)などと観光スポットを示しています。
また、間宿ほかをも取り上げたためか、定番のランドマーク以外の風景も見られます。有名な初代歌川広重の保永堂版東海道の小田原宿では酒匂川の徒渡しの光景を取り上げていますが、「御上洛東海道」では「酒匂川」(図7、二代広重)があるからか、国綱=二代国輝の「東海道 小田原」(図8)は、有名な薬であるういろうの店の前を行列が通る様子を取り上げています。浮世絵師たちのさまざまな個性で宿駅以外の場所も描かれた浮世絵を手に取った人々は、楽しく豊かに旅のイメージを膨らませたことでしょう。
おわりに 江戸時代の旅に思いを馳せる
展示では旅の出発点となる「日本橋」(三代豊国)や孝明天皇が4月11日に攘夷祈願のために賀茂上下社を行幸し、家茂も供奉したできごとを描いた「上加茂」(三代豊国)など神奈川県域以外の「御上洛東海道」や、家茂を鎌倉幕府の初代将軍源頼朝に置き換えて天皇に拝謁する光景を描いた大判三枚続の「頼朝公参内之図」(図9、二代広重)なども含め、この将軍の旅を描いた浮世絵を紹介しています。
将軍の旅を描いた「御上洛東海道」は、当時の浮世絵師たちの腕比べを見られるシリーズともいえます。当館は約160点のうち40点ほど所蔵しています。当館所蔵の「御上洛東海道」で今回展示しなかった作品も当館HPの「神奈川県立歴史博物館デジタルアーカイブ」で画像をご覧いただけるものもありますので、ぜひ、数多くの風景が描かれた東海道シリーズで、江戸時代の旅に思いを馳せてください。
(桑山 童奈・当館企画普及課長)
【参考文献】
小西四郎『錦絵幕末明治の歴史 2 横浜開港』講談社、1977年
小西四郎『錦絵幕末明治の歴史 3 動乱の幕末』講談社、1977年
拙稿「【資料紹介】〈東海道名所風景〉における現・神奈川県域の表現」『神奈川県立博物館研究報告』29号、2003年
山本野理子「東海道中を描く錦絵の新展開-「御上洛東海道」を中心に-」関西学院大学審査博士学位論文(2010年度)、関西学院大学リポジトリ閲覧
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