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横浜写真アルバムの表紙

ウェブサイトへの記事掲載と常設展示室でのギャラリートークの連動企画「今月の逸品」は、当面の間、ウェブサイトのみでの展開とし、詳しい解説で学芸員おすすめ資料の魅力をお伝えします。

2023年8月の逸品

横浜写真アルバムの表紙

横浜写真アルバムの表紙

27.3×36.3㎝
明治中期
展示期間:2023年8月1日(火)~9月5日(火)予定
展示場所:常設展2階テーマ4 近代

横浜と写真アルバム
 8月の今月の逸品では、明治中期に横浜で作られたと考えられる、写真アルバムをご紹介します。
 安政6年(1859)の開港以降、海外につながる玄関口として急激な発展を遂げた横浜。居留地が設けられ、外国からも商人が集い、多くの外国人が行き交うようになりました。日本を訪れた彼らがお土産として盛んに買い求めたのが、こうしたアルバムです。中には、東京、鎌倉、神戸、日光、長崎など、日本各地の様々な名所や、日本人の暮らし、服装などの風俗を撮影した写真が綴られています【図1】。
 当時、写真は欧米から伝えられたばかりの最先端の技術でした。横浜のような開港場では、外国人から写真の技術を学んで写真家となり、写真館を開業する日本人もあらわれます。彼らは主な顧客である外国人向けに、日本の名所や風俗写真を撮影し、台紙に貼り込んでアルバムに仕立てて販売しました。鶏卵紙に焼き付けられた写真は、一見すると淡いカラー印刷のように見えますが、よく見ると白黒の写真に絵の具で彩色されています。当時の人々にとって写真は単なる記録手段ではなく、一枚一枚が高度な技術を用いて制作された、手工芸の作品であったといえるでしょう。開国したばかりの日本の様子を伝える写真は、彩色の技術の高さも相まって評判を呼び、輸出品にもなりました。

アルバムの表紙と「日本」のイメージ
 当館ではこうしたアルバムを常設展示室のテーマ4(近代)で時々ご紹介しています。中の写真をご覧いただくため、開いた状態で展示することが多いのですが、今回注目したいのは、普段見えないその表紙です。外国人向けのアルバムには、表紙と裏表紙に漆による装飾が施されているものが多くあります。底知れない深い黒とつややかな光沢をもつ日本の漆器は、開国前から外国人にとって珍重されてきました。表紙の装飾に漆が用いられたのは、漆そのものが日本らしさを感じさせる素材であったからに他なりません。さまざまな漆芸技法であらわされているのは、花鳥図や和装の人物など、外国人に「日本らしさ」を感じさせたであろうモチーフ。写真に関心が集まるためあまり注目されていませんが、アルバム表紙からは、海外に向けて打ち出された「日本」のイメージの一端をうかがい知ることができます。【作品画像

 今回ご紹介するこちらのアルバムは、四辺に緩やかな傾斜をつけたやや厚みのある板に黒漆を塗って表紙としており、手に取るとずっしりと重厚感があります。
 表紙の意匠をみてみましょう。手前には半被を着た車夫が、傘を差す女性を乗せた人力車を曳いて走っていきます。画面左の浜辺には枝を広げた木々の間に、寺院でしょうか、大きな入母屋造の堂宇と、五重塔と思しき塔が建っています。水面には小さく四艘の帆掛船が浮かび、遠くの山並みの向こうには富士山が見えます。空には鳥が列をなして飛び、上からおりてくるように雲が立ち込めています。【作品画像
 一見してわかるように、人力車、和装の人物、富士山、寺社建築、帆掛船など、日本の風景や風俗を伝えるモチーフが隅々まで散りばめられており、外国人の好みに応じる意識がうかがえます。とりわけ大きくあらわされた人力車は、アルバムの表紙によくみられるモチーフです。人力車は明治のはじめに日本で発明され、新たな移動手段として国内に急激に広まり、外国人観光客もしばしば利用するものでした。異国情緒を感じさせる乗り物であり、旅の思い出とも結びつく、アルバムの表紙にふさわしい題材だったのでしょう。ほとんど構図が一致するアルバムの表紙がいくつも残っており【図2】、人気が高い意匠であったことがわかります。

横浜と漆器
 表紙は主に、漆で文様を描き乾かないうちに金銀粉を蒔きつける蒔絵(まきえ)で表現されています。車夫や女性が身につけている衣服や、畳まれた人力車の幌は、地の部分を薄く盛り上げて布のふくらみをあらわします【図3】。左側の寺院は屋根をわずかにぼかし、葺かれた瓦が光を照り返すよう。門の石垣は銀の蒔絵粉を蒔き、固まる前に引掻くように亀甲文が描かれており、みっしりと組まれた石の重厚感が感じられます【図4】。寺院の堂宇とその周りの木々、女性の半襟と帯、簪などに用いられた朱漆は、金と黒を基調とする画面に鮮やかさを添えています。波や草花、木々は筆の線を活かして軽快に描かれ、遠景の富士山、地面の縁や雲などの背景となる部分は金銀粉を蒔きぼかし、それぞれのモチーフにあわせて多彩な技法を使い分ける工夫がうかがえます。
 いっぽう人物の顔と手足には、各々の形に立体的に切り出し、面貌や髪、指などを繊細に彫り込んだ象牙が象嵌(ぞうがん)されていて、画面の中でひときわ目を引きます【図3図5】。このように、象牙や獣骨、珊瑚や貝などに立体的な彫刻を施して器物の表面に象嵌する技法を、芝山細工と呼びます。芝山細工は、江戸時代に現在の千葉県芝山町の印籠師であった大野木専蔵(のちの芝山仙蔵易政)が、江戸に出て完成させた技法であるとされ、その表現の華やかさから輸出工芸品に用いられました。明治期には横浜にも技法が伝わり、とくに漆器の表面に芝山細工で装飾を施した製品が多く作られるようになります。
 近代の横浜で陶磁器が制作されていたことは最近よく知られるようになってきましたが、漆器制作も行われていたと聞くと驚かれる方が多いかもしれません。横浜はもともと漆器の生産が盛んな土地ではありませんでした。しかし開港後、輸出の拠点として、静岡や会津など伝統的な漆器の産地から漆器商が横浜へ出て店を構えるようになります。これにともなって漆器制作に携わる木地師、塗師、蒔絵師などの職人が移住したこともあり、輸出漆器の主産地の一つになっていきました。今回紹介する芝山細工が施されたアルバムの表紙も、横浜で作られた可能性が高いと考えられます。

 風景や風俗をあらわす写真は、外国の人々にとって見知らぬ日本の文化を伝える貴重なものでした。そこに日本ならではの塗料である漆を施し、日本ならではの文物を盛り込んだ意匠の表紙をつけることで、より異国情緒を感じさせる土産品となったのでしょう。当時の外国人が求め、日本人が形にした「日本」のイメージは、どのようなものだったのか。アルバムの表紙から感じてみてください。

(鈴木 愛乃・当館学芸員)

【参考文献】
『大日本外国貿易年表』、大蔵省、明治16-45年
商工省商務局貿易課 編『輸出漆器ニ関スル調査』、商工省商務局貿易課、昭和2年
横浜開港資料館 編『明治の日本《横浜写真》の世界 彩色アルバム』、有隣堂、平成15年

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