展示
方外印 三教図扇面
ウェブサイトへの記事掲載と常設展示室でのギャラリートークの連動企画「今月の逸品」は、当面の間、ウェブサイトのみでの展開とし、詳しい解説で学芸員おすすめ資料の魅力をお伝えします。
2023年9月の逸品
方外印 三教図扇面
名称:方外印 三教図扇面
点数:1幅
寸法:本紙 上弦50.0cm 下弦21.0cm
幅18.7cm
材質技法:紙本墨画
形状:掛幅装
年代:室町時代
款記:なし
印章:朱文円印「方外」
展示期間
2023年9月1日~9月30日(予定)
涼をおこす扇
暦はとっくの前に立秋を過ぎたというのに残暑が続きます。季節が進んで、白露の候、あるいは彼岸のころには涼しくなっているでしょうか。
暑い折りに涼を欲するとき、折りたたみができて持ち運び可能な扇子が重宝します。扇いで涼しいだけでなく、風鈴や西瓜、花火、海辺の風景など、扇に表される絵柄もまた、涼しさをもたらしてくれます。
身を寄せる三人、三教の一致
身を寄せ合って立つ三名の人物が、扇形の画面の中央に描かれます〔図1〕。この絵が描かれた室町時代には、扇面に絵や書をあらわす扇子が、大量に制作されていました。贈答品として、そして実用品として使用された扇子の多くは、傷み、朽ちて、捨てられたことでしょうが、それでも掛幅装に表具された扇面の書画がいまにたくさん伝わります。
奥の一人の手元は手前に重なる人物に隠れてみえませんが、三名はいずれも衣の中で手を組んでいるようです。中央奥の髪の毛がボサボサとしているのが釈迦(しゃか)、その左隣の耳が大きく額の広いのが老子(ろうし)、その前が孔子(こうし)であると考えられます。釈迦に老子に孔子、すなわち仏教と道教と儒教のそれぞれの祖師を、反目しあうのではなく、同じ方向を見て歩みを進めるかのように描きます。宗教を超えて三つの教えは根底においては共通しているという、三教一致の思想を明示する図様です。
人物の衣を描く線には勢いのある筆運びがみられます〔図2〕。老子の堂々たる体格を形作る背中の線は、はじめから中盤にかけてしっかりと太く、さいごに足元に向けてかすれを伴って細く払われます。この背中を包む潔い線に対して脚部に流れる衣の線は、細く、軽やかにくるりと翻ります。先頭に立つ孔子の袂を構成する線も、老子の背中の線と同様に、太めの線を素早い筆運びで描き出すもので、この線の太さと形状が孔子の体の大きさを決定づけます。奥の釈迦の衣の色に淡い墨を用いるのに対して老子と孔子の衣には墨を塗り込めないで紙の地色を残します。こうした、紙の素材の色味を活かした手法により、淡墨を広く刷いた暗い背景に三人の一群を浮かび上がらせ、この三人の存在、および配置と向きが、この扇面画の主題であることを効果的にあらわします。
白い衣の孔子と老子の横に並んで二本の樹木が配置されます。手前側の一本はやや濃い墨色で輪郭線を描き、淡い墨色の縦線で木の肌を描きます。奥の樹木の輪郭線は、手前の樹木の輪郭線よりもわずかに水分量を多くして潤いのある線にすることで背景と輪郭線との境界をやや曖昧にして、この一本が、相対的に絵画空間の奥に存在するものとして描きます。木々は上方で画面からはみ出し、枝をしならせて三人の頭上を覆って垂れて、三名の前方に広がる余白に、少しばかりの墨の彩りを加え画面の均衡を保ちます。
弧を成す画面、曲がる地面
本図とよく似た姿態で三名の祖師を描く類例に、京都の建仁寺両足院が所蔵する「三教図」(国指定重要文化財)があります。罕謄叟(かんとう そう)が賛を書き、正宗龍統(しょうじゅう りゅうとう)が後れて明応二年(1493)に賛を追加したこの絵は、罕謄叟の賛に拠れば、京都の相国寺で活動した画僧である如拙(じょせつ)が描いたものといいます。如拙は正確な生没年は不詳ですが、室町時代の前期に、幕府の御用絵師として活躍しました。瓢箪で鯰をおさえられるかという課題を将軍足利義持(よしもち)の命で描いた絵画「瓢鮎図」(ひょうねんず、妙心寺退蔵院、国宝)の筆者として知られます。如拙に継ぐ御用絵師として室町時代中頃の水墨画壇を牽引した画僧周文(しゅうぶん)の前時代を担う重要な絵師です。
本図は如拙が描いたと伝わる両足院の三教図に三人の姿態がよく似ています。ただし両足院本が長方形の画面に無背景で三祖師を描く一方で、本図は扇形の画面に地面や樹木などの環境描写を伴うことが特徴です。絵師は人物の衣に紙の地色を活かして人物を背景から浮かび上がらせたり、樹木の墨色を使い分けて画面に奥行きをもたらしたり、画材を駆使して絵画空間を巧みに構成します。そしてまた、絵画空間の構築に巧みなこの絵師は、扇形という特殊な形状の画面をも使いこなしているといえそうです。たとえば地面のかたち。三人が立つ地面は背景に刷かれた墨との対比で描き出されますが、この地面は扇の上下の弧におおむね平行に湾曲しています。先行する両足院本のような類品を単に写すだけでなく、樹木や地面を扇形に合うかたちで付加しています。その曲がった地面は、扇形という横長で湾曲した、一見して使いにくそうな画面を上手に分割、そして整理しており、絵師は特殊な画面形態を不利とは捉えずにむしろ利用して、扇面においてこそ活きる構図を達成しています。
方外の印章を用いる絵師
この絵を描いた絵師はどういった人物だったのでしょうか。画面の右端に丸い印章が捺されており、手掛けた絵師を推定する根拠となります〔図3〕。この印章は正円のなかに「方外」と読める印文をあらわすものです。捺す位置は、三人の背後。手前と奥の二層にあらわされる曲がった地面のうち奥側の地面のあたり。地面から虚空に浮くのではなく、かといって地面にめり込むのでもなく、地表面にちょこんと乗るかのような位置に捺されます。捺す角度も重要で、扇の右端の一辺に対して平行に捺すわけではなく、地表面の接線に対して垂直になるように捺されます。印を捺す位置とその角度は、考え抜かれた構図の絵画空間に印が溶け込み馴染むことを意図しているように思われ、この絵を描いた絵師が、絵の完成のあかしとして捺したことを示すようです。加えて、印の周囲の料紙に不審な継ぎ目や削除痕などはないことから、この印章は、後世に追加で捺されたわけではなく、絵を描いた絵師が制作当初に捺したものであって、その後大きな改変を受けることなく現在に伝わったものとみられます。
この「方外」という印文を朱であらわす円印を用いた絵師として遮莫(しゃばく)という絵師が知られます。号を月船(げっせん)といい、遮莫月船と呼ばれることもある絵師です。江戸時代末に狩野派絵師の朝岡興禎(あさおかおきさだ)が編纂した画人伝『古画備考』(こが びこう)には本図に捺される印と同様の印が「遮莫」の項に掲載され、また狩野永納による『本朝画史』などの記述を引いて、遮莫が画僧周文に絵を学び墨色は相阿弥(そうあみ)に似ることを伝えます。ちょうど同じような時期に活動が確認される絵師小栗宗継(おぐりそうけい)も遮莫とおなじく月船と号したことが知られ、遮莫と宗継は同一人物であるとも考えられます。すなわち本図に捺された方外印を用いた遮莫は、小栗宗継その人である可能性が想定されます。なお、小栗宗継の父は小栗宗湛(おぐりそうたん)。画僧周文の跡を継いだ御用絵師で、足利義政のもとで活動した人物です。要するに、如拙筆の伝承を伴う15世紀前半頃の作と思われる建仁寺両足院本があって、如拙から周文、そして小栗宗湛を経てその画系に連なる遮莫による作が本図です。本図の正確な制作年はまったく不明ですが、両足院本から100年ほど下るものでしょうか。両足院本そのものを手本とした確証はありませんが、両足院本系統の作を参考にしながら、墨の濃淡を駆使して主題をより明確にし、そして地面の形状でもって扇面という特殊な画面を活かした良作と位置づけられます。
畳まない扇
扇面を扇子として使用した場合に残るはずの折りたたみの線が本図には見られません。扇子としては使用されなかった、涼しい風を起こさなかった扇面と言えるかもしれません。本図が当初どのような目的で描かれたものかは分かりませんが、扇面流しや扇面貼り交ぜのかたちで他の多数の扇面作例とともに屛風に貼り込まれていた可能性もあるでしょう。遮莫の他の扇面画が残っていれば、画風や大きさ、折りたたみ線の有無などを比較してみたくなります。
九月になり、朝晩には秋の気配を感じる空気が漂います。扇子ではない本図から涼しい風は起こりませんが、室町幕府の周辺に充ちていた禅の香りを多分に含んだ風をわたしたちに運んでくれることでしょう。
(橋本 遼太・当館学芸員)
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