展示

東風俗 福つくし

ウェブサイトへの記事掲載と常設展示室でのギャラリートークの連動企画「今月の逸品」は、当面の間、ウェブサイトのみでの展開とし、詳しい解説で学芸員おすすめ資料の魅力をお伝えします。

2023年11月の逸品

東風俗 福つくし

東風俗 福つくし

「東風俗 福つくし YOUHuku 洋ふく」
楊洲周延
明治22(1889)年
場所:常設展2階トピック展示
期間:[前期]~11月21日(火)
   [後期]11月22日(水)
       ~12月27日(水)

 11月の逸品では、常設展トピック展示『明治を生きた絵師 楊洲周延(ようしゅうちかのぶ)』にて展示を行っている、明治の風俗を描いた美人画シリーズ「東風俗 福つくし」(明治22[1889]年出版)についてご紹介します。
 まず、楊洲周延の経歴です。楊洲周延(1838~1912)は、幕末から明治末期まで活躍し、膨大な数の錦絵を手がけたことで知られる浮世絵師です。天保9(1838)年8月8日に高田藩(現在の新潟県上越市)の藩士の長男として生まれ、幼いころより絵画に親しみます。10代から20代初期にかけては、歌川国芳の門下に入り、2代芳鶴の名で活動。国芳が亡くなった後は、3代豊国の門下へ、そして3代豊国が亡くなった後は、豊国の弟子であった役者絵を得意とする豊原国周の門下となり、「周延(ちかのぶ)」の名を与えられます。しかし慶応4(1868)年、周延が31歳の時、戊辰戦争が勃発し、藩士であった周延は上野戦争や箱館戦争に参戦します。謹慎などを経て周延が再び浮世絵師としての活動を開始したのは38歳の明治8(1875)年頃でした(注)。浮世絵師として本格的に活動をはじめて以降周延は、戦争画や時事の話題、役者絵、歴史画、風景画など、多種多様な画題の浮世絵を膨大な点数手がけ明治時代を代表する浮世絵師となりましたが、その中でも特に得意としていたのは美人画でした。
 明治20年代前半までは、赤や緑、紫をはじめとした高発色の化学染料を用いた浮世絵が流行し、文明開化に伴う様々な新しい話題を伝えました。その中でも今回取り上げる「東風俗 福つくし」は、「ふく」の音が入る言葉をテーマに、明治時代を生きる女性たちの姿を描いた周延を代表する美人画の30枚揃の大判錦絵シリーズです。語呂合わせのような題にローマ字表記も加えられている点など、遊び心と新しい文化を取り入れる心意気が愉快であるのと同時に、当時いかに西欧文化が新しいものとして庶民の関心を引いていたかがうかがえます。当館が所蔵するのは30点中6点で、内3点(「YOUHuku 洋ふく」「GOHuku 呉服」「7HukuMoude 七福まうで」)を11月21日(火)まで展示しています。
 シリーズの中でも特に華やかな一枚である「東風俗 福つくし YOUHuku 洋ふく」(図1)では、「バッスルスタイル」という、上流階級の女性たちの腰にバッスルと呼ばれる腰当を入れて膨らませた姿を描いています。バルコニーの奥には広い池や噴水が見えることから、女性たちのいる建物は明治21(1888)年に落成した明治宮殿をイメージしていることが推測できます。より細部に目を向けてみると、椅子に座る女性の襟(図1部分1)や、西洋犬をつれた少女の襟と袖(図1部分2)には繊細なレースの表現が見られ、大胆な色使いだけに留まらないより精度の高まった職人たちの技術も見ることができます。
 「東風俗 福つくし hukuGiusou 福寿草」(図2)は、年末の夜店で正月の縁起物として知られる福寿草の鉢植えを購入しようとしている女性2人組を描いています。右側の女性はフリンジの付いたショールをはおり、左側の女性は頭巾をかぶるなど各々お洒落に防寒対策をしています。周延の描いた「福寿草」は、主役の女性たちだけでなく、画面に描かれた景色全部を楽しめるような小さな工夫がちりばめられています。前年の明治21(1888)年に月岡芳年が同じく福寿草を買う女性の姿を描いた「風俗三十二相 かいたさう 嘉永年間おかみさんの風俗」(図3)と比べてみると、表現が大きく異なっていることが分かると思います。「風俗三十二相」は、江戸時代の嘉永年間を生きる女性という懐古的なテーマでシリーズを描いており、背景はあえて景色を描き込まず抽象的に落ち着いた色調で自然と女性に視線が集中する構図を選択しています。対して「東風俗 福つくし」は、カラフルな色で賑わう夜店の景色も描くことで、「美人画」であると同時に当時を生きる人々の活気や生活をも同じ作品の中に描き楽しんでもらうことを目的としていたことがうかがえるのです。
 明治30(1897)年頃になると、周延作品の色調は淡く穏やかなものへと変化していきます。周延の代表作として知られるシリーズ「真美人」(図4)にもその特徴は顕著に表れています。日清戦争(明治27[1894]年)以降、西洋から輸入されてきた様々な印刷技術に押しだされる形で浮世絵は衰退していきます。明治30年代以降の浮世絵の主な需要は、従来の“情報伝達の役割を果たす印刷物”から“美術作品としての品質を誇る版画芸術”へと移行し、周延の作品もその要望に応える形で変化していくのです。11月22日(水)より展示する『明治と共に生きた絵師 楊洲周延[後期]懐古と当世編』では、柔らかな色彩、筆致が魅力的な明治30年頃の周延の作品をご紹介します。

 また、現在、町田市立国際版画美術館でも楊洲周延の大規模な展示を行っています。(『楊洲周延 明治を描き尽した浮世絵師』~12月10日(日)まで)当館で展示している作品と同時代の多くの周延作品が展示されているので、合わせてご覧いただくのもおすすめです。

(山口 希・当館非常勤学芸員)

注:図録『楊洲周延 明治を描き尽くした浮世絵師』町田国際版画美術館、2023年、関連年譜(228-233頁)

【参考文献】
アン・ウォルソール「楊洲周延と千代田城の女中たち―一九世紀末のノスタルジア―」『季刊日本思想史』第77号、ぺりかん社、2010年
河野結美「周延の浮世絵版画にみる近代とノスタルジア―『真美人』を中心に―」『季刊日本思想史』第77号、ぺりかん社、2010年
図録『没後百年 楊洲周延 明治美人風俗』、財団法人平木浮世絵財団、2012年
図録『錦絵にみる明治時代―丹波コレクションが語る近代ニッポン―』、神奈川県立歴史博物館、2021年
図録『楊洲周延 明治を描き尽くした浮世絵師』町田国際版画美術館、2023年

ページトップに戻る