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民権双六

ウェブサイトへの記事掲載と常設展示室でのギャラリートークの連動企画「今月の逸品」は、当面の間、ウェブサイトのみでの展開とし、詳しい解説で学芸員おすすめ資料の魅力をお伝えします。

2023年12月の逸品

民権双六

民権双六

資料名称:民権双六
年代:明治15年(1882)12月1日
寸法:36.0㎝×50.6㎝
場所:常設展2Fテーマ4展示室
展示期間:2023年11月29日(水)
     ~2024年1月12日(金)
    (年末年始12/28~1/4休館)

 皆さんはすごろくで遊んだことがあるでしょうか。正月などの人が集まる時に、「人生ゲーム」で遊んだり、あるいは雑誌の付録に双六が付いてきたりした経験のある方が多いのではないかと思います。今月ご紹介する逸品は、自由民権運動が盛んであった1882(明治15)年に作られた「民権双六」です。
 自由民権運動は、明治政府を下野した板垣退助・江藤新平らが1874(明治7)年、左院に「民撰議院設立建白書」を提出したことをきっかけに、全国に広がり、盛り上がった運動です。自由民権運動における一番の目標は国会開設・憲法制定であり、この目標は1881(明治14)年、「国会開設の詔」が出されることで、1889(明治22)年に憲法発布、1890(明治23)年に国会開設が政府によって実現されます。一方それと前後して、1880(明治13)年の集会条例という集会・結社の自由を規制した法律によって自由民権運動は活動を圧迫されます。本資料は、将来の国会開設が約束された一方、政府から運動への圧力が増し、運動の要のひとつであった演説会などがしばしば中止・解散されるような時期に作られたすごろくです。
 実はすごろくには主に2種類あります。まずあげられるのは、サイコロを振って出た目の分だけコマを進めるもので、私たちになじみのある「人生ゲーム」などはこのタイプです。もう1種類はサイコロを振って出た目に対応したマスにコマを進めるもので、「民権双六」はこちらのタイプになります。そのためマス数も「振出し」・「上り」のマスを含めて27コマしかありません。しかしこの限られたマスの中には、当時の自由民権運動の姿を見ることができます。
 以上を踏まえて、まず本資料の振出しのマスから見てみましょう。振出しには「男女同権」【図1】と書かれており、まるですでに実現された事柄であるかのようです。しかし、女性が男性のように参政権を得るのは第二次世界大戦後で、1890年の第一回衆議院議員総選挙ではまだ女性に選挙権・被選挙権は与えられません。明治時代が「男女同権」であったとは思えませんが、それではなぜこのような記述が存在するのでしょうか?
 その背景には、明治初期において近世よりも女性の地位が向上した点があげられます。たとえば、民権家として有名な岸田俊子は、女性の地位向上を目指して1882年に演説デビューを果たし、その後も積極的に演説会に参加しています。もちろん、男性に比べて女性の演説数はわずかであり、また女性の政治参加については賛否がありました。それでも1900(明治33)年に治安警察法が発布され、女性の政党など政治結社への加入禁止、政治演説会参加・主催禁止が定められるまで、女性の政治運動は法律上禁止されていませんでした。本資料が販売された当時は男女同権、すなわち男女ともに国会を目指すという希望が持てた時代であったのかもしれません。
 さて、本資料を構成するマスの内容は、[1] 民権家の活動に関するマス、[2] 民権家の個人的な活動や所属に関するマス、[3] 活動を妨害するマスのおおよそ3種類に分類できます。[1]・[2] は民権家の活動や経験を示し、基本的に国会に向かって順調に進むマスです。一方、[3] はその国会へ向かう民権家の活動を妨害し、逸脱させようとするマスを示します。
 まず [1] には、「演武」・「懇親会」・「喧嘩」・「演説会」・「建白」・「政党団結」といったマスがあります。特に演説は自由民権運動の中心的な活動でした。本資料の中では、「演説会」【図2】・「演説紛議」【図3】・「演説解散」【図4】と、開催から立ち合いの警察官に内容を問題視されて揉め、その後解散を命じられるまでの段階をそれぞれのマスで表現しています。
 [2] は「民権学校」・「書肆」(本屋)・「新聞社」といった所属、あるいは「誕生」・「社参」・「苦学」・「洋行」・「卒業」といった個人的な体験に関するマスです。自由民権運動は多くのジャーナリストが参加し、雑誌・新聞紙上で政府の動向を批判し、また投書などを盛んに取り上げながら政治的な議論を展開しました。また、民権家の中には洋行、つまり海外留学をし、当時の最先端の政治や学問を学び、日本に持ち帰って来た人々もいました。
 [3] は [1]・[2] のマスから逸脱し、運動が妨害される「罰金」・「法庭」・「禁獄」・「拘引」・「放免」の5マスを指します。この [3] につながるのは、「演武」・「演説解散」・「喧嘩」・「演説紛議」・「建白」・「新聞社」ですが、これは新聞条例・集会条例という、言論・運動を妨害した法律が具体的に取り締まったものを示しています。一方、「禁獄」【図5】のコマでは男性が「あまり血気に逸りて後悔した」と自身の行動を悔やんでおり、またサイコロを振っても3・4・5を出す以外はコマを動かせず、本資料の中で最も行動が制限されてしまうマスなのですが、それでもゲームオーバーにはなりません。これは自由民権運動の困難さを表すとともに、国会開設という目標のために諦めず運動に戻った人々の姿が投影されたのかもしれません。
 「民権双六」の上りは当然「国会」【図6】(注)です。「国会」につながるマスは「議員」・「著述」・「人望」の3マスで、当時の民権家、ひいては将来国会議員になるだろうと当時思われていた人物の3類型を示しています。
 まず、「国会」に直接つながる「議員」【図7】は分かりやすいマスでしょう。マス内の人物が「拙者が選挙されたは何よりの面目である」と言っていて、選挙に当選して議員になったことが分かります。この「議員」で想定されているのは民権家の中でも、主に板垣のような士族、あるいは政府の元官僚であったと思われます。このマスは「政党団結」や「洋行」からつながっています。板垣も洋行を経験していますし、「政党団結」の中心となったのも板垣をはじめとする士族たちが主でした。
 次に「著述」【図8】ですが、これは福沢諭吉のような都市知識人が想定されていると思われます。福沢を代表とする多くの知識人たちは、自身の著作や演説を通して人々の啓蒙に努めました。「著述」に接続するマスに「演説会」があるのは、特に福沢と三田慶應義塾の人々が演説を盛んに行い、全国に広めた点から連想されたのかもしれません。
 最後に「人望」【図9】ですが、このマスは他のマスから最もつながりやすいマスです。手前の男性が「わづかの金に困るとは気の毒な」、奥の男女が「ほんに今の恩は忘れますまい」、とそれぞれ話しているところから、手前の男性が奥の男女に金銭を融通した場面のようです。つまり民権家が人助けをしているシーンなのですが、金銭的援助をしている点がおもしろく感じます。この「人望」はもちろん、他人から信頼の厚い魅力的な人物を指している一方で、名望家と呼ばれる、多くは豪農出身の民権家を指していると思われます。上りのマスに接続する3マスは、当時の民権家の要素を取り入れ、国会に至る人々の属性についても描き出しています。
 今回ご紹介した「民権双六」は、当時の運動について理解する上で重要な資料であり、また書き尽くせないほど興味深いすごろくです。ぜひ実際に見て、1コマ1コマ楽しんでいただけたらと思います。

(山下 春菜・当館非常勤学芸員)

(注)資料では「会」が欠落していますが、マスに描かれた人々の様子や「本院は憲政に賛成であります」という言葉から上りのマスは「国会」であろうことが分かります。

※資料上、特にマスの中の人物のセリフなどはほぼ仮名で書かれていますが、適宜、現代表記に改めました。

参考文献
塚越和夫「男女同権論と女権小説」(早稲田大学国文学会『国文学研究』57号、1975)
稲田雅洋『自由民権の文化史』(筑摩書房、2000)
青山貴子「遊びと学びのメディア史ー明治期の〈教育双六 〉における「上がり」の思想を中心にー」(生涯学習・社会教育研究推進機構『生涯学習・社会教育研究ジャーナル」第2号、2008)
高久智広「出世双六にみる幕臣の世界」(国立歴史民俗博物館『国立歴史民俗博物館研究報告』第182集、2014)

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