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小絵馬
ウェブサイトへの記事掲載と常設展示室でのギャラリートークの連動企画「今月の逸品」は、当面の間、ウェブサイトのみでの展開とし、詳しい解説で学芸員おすすめ資料の魅力をお伝えします。
2024年1月の逸品
小絵馬
お正月、初詣に行った際に干支の絵馬を奉納した方もいらっしゃるのではないでしょうか。また、まもなく訪れる受験シーズンを前に、最後の神頼みに近所の氏神様や天満宮などで合格祈願の絵馬の奉納を予定している受験生やその家族もいるかもしれません。その年の干支や神社仏閣に関係する図柄が描かれた絵馬は、現代でも私たちの生活のごく身近にある祈りの道具ともいえます。絵馬には、こうした屋根型の吊り掛け式の小絵馬と、社寺に奉納された扁額(へんがく)式の大絵馬がありますが、今月は小絵馬について紹介いたします。
絵馬の起源
絵馬とは、社寺に祈願やお礼のために奉納する板絵のことです。その起源は、古代の祭祀において生きた馬を神へ奉納した習俗に発するといわれます。『常陸国風土記』(8世紀)の「鹿嶋大明神に馬を献ずることになったのは崇神天皇の時代からである」という記述や、『続日本紀』(8世紀)の「日蝕の際の儀礼として伊勢神宮に赤毛の馬2匹を献上した」という記述など、生馬奉納は多くの文献にみることができます。しかし、生馬を用意できない時は、その代わりとして土製や木製の馬形を奉納するようになりました。これらは、奈良時代の各地の遺跡から多く出土しています。こうした馬形の献上が簡略化され、やがて板に馬の絵を描いて奉納するようになったと考えられています。平安時代末から鎌倉時代には、『年中行事絵巻』や『一遍聖絵』などの絵巻に絵馬奉納の様子が描かれていて、広い範囲で絵馬奉納が行われていたことがわかります。絵馬は、神仏習合思想の影響から、神社だけでなく寺院にも奉納されるようになりました。さらに、室町時代中期以降は、絵馬の形状や図柄は多種多様になり、扁額形式の大絵馬も奉納され、専門絵師が馬以外の図柄も描くようになりました。こうして、近世初頭以降、絵馬の発展は大絵馬と小絵馬の二つの流れをもって展開していくこととなります。江戸時代の文化・文政年間(1804-30)ごろからは、祈願内容を描いた図柄はさらに多彩になりました。馬図のほかに、神仏・礼拝姿・動物・果物・天狗・鬼など様々あり、それが今回ご紹介する小絵馬の図柄の原型ともいえます。これらには奉納者の切実で真剣な願いをこめた語呂合わせや判じ物のような図柄もあり、見ている人を飽きさせないものが多く残っています。
小絵馬について
小絵馬は、心の中に秘めた切実な願いがある時や、年中行事の折々などに奉納されてきました。病気平癒や子どもに関する願いが多く、子どものお風呂嫌いを直すための「入浴図」や、同じく子供の散髪嫌いを直すための「月代(さかやき)図」など、日常にありふれたちょっとした悩みが描かれたものも見受けられます。現在は、社寺で授与された絵馬を奉納しますが、かつては絵馬師が描いたものを絵馬屋で購入して奉納しました。絵馬師は、提灯屋・凧屋・傘屋などの絵心を必要とする職人が兼業していた場合が多かったようです。奉納者自身が、板片に絵を描いて奉納することもありました。また、願い事は他人に知られたくない内容も多かったため、氏名や奉納年月日、願い事の詳細などは記入せずに奉納しました。しかし、多彩な図柄がありながらも、一番多く奉納されたのは「拝み絵馬」と呼ばれ、神社の拝殿や雲の上の神に向かって奉納者が何かを拝んでいるものです。特に、女性の拝み姿が多く、護王姫社(座間市入谷)では、5032点の小絵馬のうち4601点が女拝みだったという記録があります。拝み絵馬は背景の図柄で願い事が想像できる場合もありますが、本当の祈願内容は本人にしかわかりません。氏名や願い事を詳細に記す現在の小絵馬とはかなり様相が異なります。
当館の複製小絵馬
当館には、34点の小絵馬複製資料があります。祈願内容を多様な図柄で表したかつての小絵馬は、既に入手が難しかったために、平成4年(1992)に製作されました。複製小絵馬には、県内外でよくみられた一般的な図柄が描かれています。材料は、小絵馬で使用されることが多かった杉材を使用し、胡粉と泥絵の具で描かれています。大きさはいずれも縦15㎝×横19㎝です。以下に紹介する小絵馬は、現在展示室で展示中のものです。
馬図(白)(図1)
飾り馬の図。馬図は、白い馬は止雨祈願に、黒い馬は雨乞祈願として奉納された。また、さまざまな願い事の絵馬として使用した。
子抱女拝み図(図2)
女性が子供を抱いている図。子授け祈願や安産のお礼に奉納した。
男拝み図(図3)
男性が提灯を拝んでいる図。背景には、神の依り代である瓢箪(ひょうたん)が描かれている。拝み絵馬の祈願内容は奉納者本人しか分からないが、背景に描かれた図柄で祈願内容を読み解くことができる場合もある。この図柄は、横浜市鶴見区の駒岡瓢箪山古墳の「お穴様」に奉納された絵馬がモデルとなっている。
鶏図(図4)
雌雄の鶏の図。鶏は夜に鳴かないため、子どもの夜泣き封じや安眠祈願のために奉納するほか、荒神様の使いとして年始にかまどの上に掛けることもあった。雌雄の足元に数羽の雛が描かれている図柄も多くみられる。
向い狐図(図5)
二匹の狐が向い合い、真ん中には宝珠が描かれている図。一匹の狐は財宝を得ようとする幸運の鍵をくわえている。五穀豊穣や商売繁盛などを祈願し、正月や初午の際に稲荷社に奉納した。
向い目図(図6)
二つの「め」の字が片方を反転させたうえで向かい合っている図。眼病平癒を祈願。県内では、眼病平癒の祈願に訪れる人が多かった影向寺(川崎市宮前区)などに事例がみられる。
八つ目図(図7)
病む目(やんめ)にかけて、八つの目が描かれている図。眼病平癒を祈願した。
鳩図(図8)
二羽の鳩が描かれた図。鳩図は八幡様の使いとして各地の八幡社に奉納されたほか手足にできたまめを鳩に食べてもらい早く治るようにとの祈願で奉納された。
乳しぼり図(図9)
女性が乳をしぼる図。母乳が出るように祈願した。県内では、銀杏のコブの皮を削って煎じて飲むと乳が出るようになるという伝説の乳出し銀杏があることで有名な影向寺(川崎市宮前区)や、等覚院(川崎市麻生区長尾)などに事例が残る。
重ね餅図(図10)
三宝に載せられた重ね餅の図。安泰の象徴として、夫婦円満や子授け祈願に奉納した。
松茸図(図11)
子授け祈願、婦人病平癒、精力増強などの祈願。県内では、川崎の金山神社(川崎市川崎区若宮八幡宮内)での奉納事例がある。
盃・サイコロに錠図(図12)
花札とサイコロが入れられている盃に錠がかけられている図。酒と賭け事を断つ祈願のため奉納。錠物図とも呼ばれ、「キセルに錠」「心に錠」などのパターンがある。
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全国に残る小絵馬の習俗ですが、県内の川崎市や横浜市北部の農家では、馬小屋の入り口に上岡観音(埼玉県東松山市・妙安寺境内)の小絵馬を掛け、馬の安全を願いました。なかには観音講を結成し、毎年上岡観音にお参りをして、新しい小絵馬を求めていた地域もあったようです。また、年の暮、川崎市宮前区では溝の口の甲州屋で「鶏」の小絵馬を買い求め、新年を迎えるにあたり荒神様に供えたという事例や、同中原区でも、世田谷のボロ市で新年に屋敷稲荷に掛ける「向い狐」や「鶏」の小絵馬を買い求めた事例があります。相模原市南区の養蚕農家では、新年に蚕室にネズミ除けの「蛇」の小絵馬を貼ったという報告がありました。
かつては、神奈川県内でも、様々な図柄が描かれた小絵馬を身近に見ることができましたが、近年ではその様相も変わり、古いタイプの小絵馬は殆ど見ることができなくなりました。しかし、人々の悩みや願いはいつの時代も変わりません。「病気が治りますように」「子どもが安産でうまれますように」など、今も昔も変わらない普遍的な願い事なのではないでしょうか。自分と神様との間だけにしか通じない願いが描かれた小絵馬から、私たちは切実な気持ちを読み取ることができます。ぜひ、展示された小絵馬をご覧になって、人々の切なる願いに思いを巡らせていただければと思います。
(三浦 麻緒・当館非常勤学芸員)
主な参考文献
北条時宗『小絵馬図集』1939 旅の趣味会
岩井宏実『絵馬』1974 法政大学出版局
召田大定『増補絵馬巡礼と俗信の研究』1976 文化と伝承の会
川崎市『川崎市史』別編民俗 1990
座間市教育委員会『護王姫社の絵馬』2004
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