展示

阿弥陀如来立像(鎌倉時代)

ウェブサイトへの記事掲載と常設展示室でのギャラリートークの連動企画「今月の逸品」は、当面の間、ウェブサイトのみでの展開とし、詳しい解説で学芸員おすすめ資料の魅力をお伝えします。

2024年2月の逸品

阿弥陀如来立像(鎌倉時代)

阿弥陀如来立像(鎌倉時代)

阿弥陀如来立像
鎌倉時代 13世紀
木造
場所:3階テーマ2展示室

 今回の「今月の逸品」は、当館所蔵の鎌倉時代の阿弥陀如来立像を紹介します。本像は、2020年12月の逸品で紹介した鎌倉時代初頭の阿弥陀如来坐像よりやや下る鎌倉時代中期頃の作例で、鎌倉時代に仏師運慶とともに活躍した仏師快慶の仏像に近い作風を示す像です。他の仏像と同じように原所在地や伝来はわからないですが、プロポーションの整った優品といえるでしょう。

阿弥陀如来立像の概要
 まず、像の概要をみていきます。像高は72.1cmです。頭部は、高く盛り上がった肉髻(にっけい)、粒状の螺髪(らほつ)をあらわします。上半身には衲衣(のうえ)と覆肩衣(ふげんえ)をまとい、下半身には1枚の巻きスカート(裙)(くん)を着けます。左手は体の横に下げ、右手はひじを曲げます。両手ともに手のひらを前に向けて、第1・2指をまげて他の指をのばします。このような印相(指の形)を来迎印(らいごういん)と呼びます。左足をわずかに前に出し、台座上(新補)に立つ姿です。
 構造は、針葉樹材とみられる一材から頭と体の主要な部分を彫り出し、像内の余分な部分を削り落とし、さらに首元で頭部と体部の材を割り離します。このように一本の材を複数のパーツに分ける造り方を割矧(わりは)ぎ造りと言います。頭と体を含む主要な部分を一本の用材で彫り出す一木造りと二本以上の材を使用する寄木造りの中間に位置する構造です。また、面部の目部を刳り抜いて、像内から水晶を充てる玉眼(ぎょくがん)の技法が用いられます。

三尺阿弥陀と安阿弥様
 本像のような立像の阿弥陀如来像は、その大きさから三尺阿弥陀と呼ばれています。鎌倉時代の三尺阿弥陀像には大きさが3種類あることが指摘されており、[1] 像高約98cm、[2] 像高約82cm、[3] 像高約78cmの3つです。本像は、[3]に比べると約6cm小さいので、髪際の高さで二尺の大きさを基準に造られていたのでしょう。
 本像は、快慶の造った阿弥陀如来像にならった安阿弥様(あんなみよう)の阿弥陀如来像です。安阿弥とは快慶の別名です。この安阿弥様の阿弥陀如来像は、阿弥陀如来像の規範とされ、鎌倉時代から江戸時代まで造られました。
 快慶の造った仏像は、東国にはほとんど残っていません。造像銘記があって、確実に快慶作といえるのは、静岡・伊豆山神社下常行堂(現、広島・耕三寺)に伝来した宝冠阿弥陀如来坐像。そして、栃木・真教寺の阿弥陀如来立像の2軀(く)だけです。快慶の作風に近い像でも、鎌倉・教恩寺阿弥陀如来及び両脇侍像や群馬・地蔵院の観音菩薩・勢至菩薩像などが知られるくらいです。どうして東国で快慶の作例が少ないのか理由はわかりません。

小さな発見
 最後に小さな新発見があったことを付け加えておきます。今回、改めて本像の像内をファイバースコープで調べたところ、像内から4.4cm×3.0cmの紙片が確認できました(図1)。今までまったく知られていなかったもので、驚きました。その紙片には「當国」と墨書が残されていました。文字は中世に書かれたものかもしれません。「當」字の上部には墨の跡がのこるため、この2字のほかにも文字が書かれていたことがわかります。おそらく、もっと大きな紙の一部分がちぎれるなどして残ったものと考えられます。現在は、像内には納入品らしきものは見当たらないものの、なにかの文書が像内に納められていた可能性があります。この仏像の製作背景や伝来に関する重要な資料がどこかに残されているかもしれません。

(神野 祐太・当館学芸員)

ページトップに戻る