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歌川国貞 風景への挑戦
ウェブサイトへの記事掲載と常設展示室でのギャラリートークの連動企画「今月の逸品」は、当面の間、ウェブサイトのみでの展開とし、詳しい解説で学芸員おすすめ資料の魅力をお伝えします。
2024年4月の逸品
歌川国貞 風景への挑戦
令和6年4月の今月の逸品は、当館の浮世絵コレクションである丹波コレクション(貿易商丹波恒夫氏〈1881-1971〉が一代で収集したコレクション)から歌川国貞の風景画をご紹介します。国貞は、浮世絵ファンには親しみ深い浮世絵師ですが、そうでない方には知られざる存在であるかと思います。
初代歌川国貞(1786-1864)は初代歌川豊国の門人です。師の没後に豊国を名乗ったので、現在では国貞と呼ばれたり、三代豊国と呼ばれたりしています。国貞は葛飾北斎(1760-1849)、初代歌川広重(1797-1858)、歌川国芳(1798-1861)らと同時代に活躍しました。現在、博物館・美術館で開催される展覧会や書籍ではこの3人のようには紹介されませんが、確認できる作品数はおそらく浮世絵師の中でももっとも多く、人気の浮世絵師であったことは間違いありません。
国貞の浮世絵で人気があったのは歌舞伎役者の似顔絵や美人画など、人物を描いた作品群です。人物の背景に風景を配しても、あくまでも人物が主役です。例えば「東海道五十三次之内〈美人東海道〉」と呼ばれる中判錦絵のシリーズ(天保4年〈1833〉頃出版〈註1〉)や「(役者見立東海道五十三次)」と呼ばれる大判シリーズ(嘉永5・6年〈1852・53〉出版)は東海道の光景を描いたシリーズですが、国貞の絵としての「売り」は手前に描かれた歌舞伎役者の似顔絵や女性の半身像でした。
しかしながら本稿では美人画や役者絵ではなく風景画のシリーズをご紹介します。天保4年(1833)頃(註2)に山口屋藤兵衛という版元(いわば出版社)から出版された大判錦絵横の10枚は、国貞の描いた風景画の中でも優れた絵として評価が高いものです。丹波コレクションには「朝妻ふね」以外の9点、「霧中ノ山水」(図1)「二見浦曙の図」(図2)「五月雨の景」(図3)「紅葉かりノ図」(図4)「北廓月の夜桜」(図5)「勢洲鰒取ノ図」(図6)「明石ノ浦の図」(図7)「八ツはしの図」(図8)「曽我十番切ノ図」(図9)が含まれています。初代広重の作品を初めとする風景画(名所絵)を好んだ、コレクターの丹波恒夫(1881-1971)氏の趣味が覗われます。
風景画と呼んでいますが、「明石ノ浦の図」「八ツはしの図」「曽我十番切ノ図」はそれぞれ万葉集の歌人柿本人麻呂、『伊勢物語』の在原業平、父の仇討を討った曾我兄弟の『曾我物語』に基いています。
これらは国貞が参考にしたと推測できる先行作例(河村文鳳〈1779-1821〉『文鳳山水遺稿』ほか〈註3〉)が指摘できるものもありますが、そのお手本とは異なる色彩豊かな“錦絵(多色摺の浮世絵版画)”になっています。
錦絵は摺った時点により色遣いが変わることがありますが、本稿では色彩の挑戦に注目します。
「勢洲鰒取ノ図」(図6)は伊勢の国(現在の三重県)でアワビ漁をする海女たちを描いています。まず海に注目すると、波をあらわす輪郭線が藍色です。錦絵の主版(おもはん)と呼ばれる輪郭線は墨色が一般的で、藍色を輪郭線に用いた葛飾北斎の「冨嶽三十六景」や「諸国瀧廻り」は藍色を効果的に使用した例として有名です。さらに藍のグラデーションで画面全体を表現する「藍摺」と呼ばれる浮世絵版画がありますが、その数はそれほど多くはありません。
次に舟の傍にいる海女に注目すると(図10)、水面より上に出ている部分の体は輪郭線が墨、水面下の部分は輪郭線が藍色で藍のグラデーションで表されています。水を通した身体の見え方を意識し、細部の演出に心を配った表現といえます。
同様の演出は「明石ノ浦の図」(図7)にも見えます。明石の浦(現在の兵庫県)をこの地ゆかりの『万葉集』の歌人柿本人麻呂(生没年未詳)の姿とともに描いています。人麻呂がいる手前側の岸は墨の輪郭線で現実的な色遣い、一方、海を隔てた向こう側は藍色の輪郭線のグラデーションと対比的に表現されています。色遣いの違いで距離感をあらわそうとしたのでしょうか?
ほか、薄い藍色や薄墨を使った雨の表現(「五月雨の景」〈図11〉「十番切ノ図」〈図12〉)、光が当たっている部分と当たらない部分の描き分け(「北廓月の夜桜」の桜の花々〈図13〉)や、波のかたちに凹凸をつけた空摺(からずり)(「二見浦曙の図」〈図14〉)など細部の表現に見どころがあります。
前述したように、一連の風景画は研究者により、天保年間(1830-44)の前半に出版されたと考えられています。天保年間は現在、風景画で評価の高い北斎や広重だけでなく、武者絵で人気の歌川国芳、国貞と同様に美人画の作品が多い溪斎英泉(1790-1848)も風景画に意欲的に取り組みました。当時の浮世絵師が風景表現に切磋琢磨した状況を背景に、国貞は本シリーズにのぞんだのでしょう。展示室内で細部の表現を確認することはなかなか難しいかもしれませんが、パネルなどでご覧ください。
当時の人々はこのシリーズをどのように受けとめたのでしょうか?国貞がこのシリーズ以降、同様の純粋な風景画を多く手がけた、ということはないので、国貞の挑戦が続くことはなかった、と推測します。しかし、このシリーズは浮世絵風景画の黄金期といえる天保年間の、浮世絵師たちの腕くらべの一端を感じられると思います。この機会にぜひご覧ください。
(桑山 童奈・当館企画普及課長・学芸員)
(註1)『没後150年記念歌川国貞』太田記念美術館、平成26年(2014)、p226
(註2)『没後150年記念歌川国貞』太田記念美術館、平成26年(2014)、p222
(註3)御成道人「国芳国貞の風景版画の種本」『浮世絵志』第4号、昭和4年(1929)、p35-37
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