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寄木細工ライティングビューロー

学芸員のおすすめ収蔵資料の魅力を詳しい解説でお伝えする「今月の逸品」。休館中はウェブサイトのみでのご紹介になります。

2026年7月の逸品

寄木細工ライティングビューロー

寄木細工ライティングビューロー

高さ181.0×幅240.0×奥行77.0㎝
明治時代
金子皓彦コレクション(当館寄託)

 寄木(よせぎ)細工と聞いて、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか。寄木とは、成形した木材を組み合わせ、木の色や木目を活かして文様を作る技法のことです。多くの方は、連続する幾何学文様が特徴的な箱根の名産品を想起するのではないでしょうか。からくり仕掛けの秘密箱やお盆が家にあるという方も多いかもしれません。自身の職場の机上を見渡してみると、コースター、マウスパッド、ボールペン、キャンディーボックスなど、思った以上に多くの寄木細工を愛用していることに気づきました。いずれも小ぶりで生活に取り入れやすいものばかり、値段もお手頃で、箱根に行くたびつい買ってしまいます。
 そんな机上で愛でて楽しい寄木細工の品々。しかし今回は、机上どころか机そのものが寄木細工という、スケールの大きな逸品をご紹介します。明治時代に箱根でつくられたと考えられる、外国向けの家具です。

 まずは本作の全貌をみてみましょう。これは扉を開け、手前に机を引き出して使う巨大なライティングビューローです。どのくらいのサイズか、本作の撮影をしたときの様子をご覧いただきましょう。撮影は当館の講堂で行いましたが、大きすぎて画角に収まらないため、部屋の外、廊下までカメラを下げて撮影しました【図1】。この巨大な作品を人力で運ぶのは難しいと思われますが、実は棚のある上部、扉と机がある中部、抽斗(ひきだし)のある脚部2つ、脚部をつなぐ幕板2つと、6つに分解できるようになっています。輸送のための工夫といえるでしょう。
 中央の曲面を描く扉は、押し上げると机の内部に収納され、反対に扉部分の下の板を引き出すと、デスクの天板部分が現れます【図2-1図2-2】。両側面には扇形の天板が収納されており、脚部側面に蝶番(ちょうつがい)で取り付けられた菊の透(すか)し彫(ぼ)りを広げて支えとするとサイドテーブルになります【図3】。サイドテーブルを含めた全体の幅は240cmに及びます【図4】。扉を開いたり、天板を引き出したりすると大きく形が変わるため、変形ロボットを見ているようなワクワク感があります。全面にほどこされた寄木細工はバリエーション豊かで、幾何学文様の見本市のようです。

 様々な色や木目の木材を組み合わせ、それを薄く切ったり、鉋(かんな)で削ったりして器物に貼り付ける寄木の技法は、世界各国で見られます。日本では特に江戸時代から、静岡や箱根を中心に盛んに生産されるようになりました。
 この作品が制作された箱根は山間部にあり、木工芸に適した良材が豊富であったために早くから木地師(きじし)が活動していました。16世紀にはすでに挽物(ひきもの・木材をロクロで挽いて作る椀皿類など)が生産されていたことが分かっています。江戸時代に東海道が制定されて箱根宿が設置され、難所であった箱根道の整備が進むと、多くの人々が行き交うようになります。東海道沿いに位置する畑宿や湯本では、木工品が土産物として販売されました。また、江戸時代には「箱根七湯」が湯治場としてにぎわい、各温泉場で木工品が湯治土産として人気を博します。こうして箱根で作られた木工品は、旅人の土産物として販売され、「湯本細工」「箱根細工」として広く知られるようになりました。木工品の生産が盛んになる中で、挽物だけではなく指物(さしもの・板を組み合わせる箱、家具類など)の技術も発展しました。箱根における寄木細工の明確な起源は明らかになっていません。しかし、指物生産の盛んな静岡から箱根に職人が訪れ、指物の製法を伝えたという話がいくつか残っていること、寄木は指物の表面に用いられることから、静岡から箱根に指物の加飾技法として伝えられたという説が有力です。街道を通じた技術交流もあったのでしょう。
 箱根で作られた寄木細工の早い例は、文化・文政期に日本を訪れたフィッセルやシーボルトのコレクションで確認することができます。文政3年-12年(1820-1829)にオランダ商館員として長崎に滞在し、文政5年(1822)に商館長ブロンホフに随行して江戸へ参府したフィッセルは、紀行文の中で、箱根ではとても精巧な塗物、彫物、挽物などが制作されており、様々な「mozaïk」や漆器等を購入したと記しています。この「mozaïk」とは寄木による表現を指すのでしょう。滞在中に彼らが購入した品々はオランダのライデン国立民族学博物館等に所蔵されていますが、その中に寄木の四方抽斗箱(よほうひきだしばこ)や小抽斗、小箪笥(こだんす)があります。当時こうした小さな土産物の寄木細工が多く作られており、外国人からも注目を集めていたことがわかります。

 明治期になると、万国博覧会で日本の工芸品が好評を博したことをきっかけに、輸出工芸品の制作が積極的に行われるようになりました。箱根の商人も貿易港である横浜に出店し、外国人の生活様式や嗜好に合わせた様々な器種の寄木細工を販売していました。また箱根は横浜に近く、避暑地、保養地としても外国人観光客の人気を集めていました。多くの外国人が箱根を訪れ、その需要や嗜好を知り、制作に反映することが容易になったと考えられます。
 このライティングビューローは、イギリスから里帰りしたものです。抽斗の裏には所蔵者を示すと思われる「D」の焼印があります【図5】。それまでの国内向けの家具にはない用途、大きさであることから、国外からの需要に応じて制作された器種といえます。このような外国の居住空間に合わせた家具の制作は、当時の人々にとっては新しい試みだったでしょう。しかし単に必要な機能を備えるだけでなく、上部にふすまのような扉を設け【図6】、扇形の袖机を作るなど、日本、東洋らしさを感じさせる仕掛けも随所にほどこされています。箱根といえば、江戸時代後期から制作されていた秘密箱も有名ですが、それと通ずる遊び心と高い技術が感じられます。繊細な幾何学文様が連続する寄木も、曲面まで破綻なく埋める技術の高さを見せています。そのほか、随所に木象嵌(もくぞうがん)【図7】、透し彫り【図8】、木の皮細工【図9】など、様々な木工技法が併用されていることも注目されます。木象嵌は、ある木材に文様の形に切った様々な木材をはめ込み、木材の色を活かした絵のような表現を行う技法で、箱根で明治中期に急激に発展しました。透し彫りは横浜などで制作された輸出向けの家具の装飾にも盛んに用いられています。木の皮細工は、シーボルトが江戸参府の道中、箱根で「生の樹皮」を用いた家具類を見たとあることから、箱根で伝統的に作られてきたものでしょう。つまりこのライティングビューローは、それまで培われてきた木工芸の技法を軸に、外国人の生活様式を考えた器種と、明治期に入ってさらなる発展を遂げた表現とが結びついた、近代の木工芸の記念碑的な作品といえるのではないでしょうか。
 明治の木工芸の最高峰の技術が結集したこの作品を、どのような職人が作っていたのでしょうか。遠い異国の地で、この存在感ある作品が飾られた邸宅は、どのような空間だったのでしょうか。良いものを作るべく職人たちが力を合わせた様子や、遠い異国の地でこの作品を愛用した人々の様子を、ぜひ思い浮かべてみてください。

(鈴木 愛乃・当館学芸員)

参考文献

Overmeer Fisscher,J.F.van.1833. Bijdrage tot de kennis van het Japansche rijk.Amsterdam: J. Muller. 齋藤阿具訳注「フィッセル参府紀行」『異国叢書』第5巻、駿南社、1928年

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