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縄文の住まい

学芸員のおすすめ収蔵資料の魅力を詳しい解説でお伝えする「今月の逸品」。休館中はウェブサイトのみでのご紹介になります。

2026年8月の逸品

縄文の住まい

縄文の住まい

上:横浜市鶴見区梶山遺跡の発掘調査時に撮影された5号住居址の写真
下:梶山遺跡5号住居址の復元模型(発掘調査時の写真および調査成果をもとに製作)

竪穴(たてあな)住居から縄文時代の人々の生活を考える
 今回ご紹介するのは、横浜市鶴見区梶山遺跡で発見された縄文時代中期の竪穴住居をモデルとしてつくられた復元模型です([図1];常設展示室テーマ1に展示)。梶山遺跡の竪穴住居は、館の前身である神奈川県立博物館が1967~68年にかけて発掘したもので、このときの調査は、単に資料の収集だけでなく、宅地造成によって調査不可能になる前に記録・保存を行うことも目的に実施されたものでした。

 一般的な竪穴住居の模型では上屋構造が復元され、実際の調査で検出された状況がわからないことが多いですが、この模型は調査で検出された状況をそのまま模型としている点が特徴です。梶山遺跡の竪穴住居を観察すると、不正円形の平面形の中に複数の柱穴が掘られており、中央部に炉が設けられています([図1][図2]および調査図面[図3]を参照)。

1)炉に使用された土器
 まず、炉に注目すると、炉には枠として深鉢形土器の上部が埋設されています[図1部分拡大]。こうした炉は埋甕炉(まいようろ)と呼ばれ、縄文時代の住居に特徴的な炉の利用形態です。

 土器は単に煮炊きをするだけでなく、その破片も炉の一部として利用していたのです。縄文人のモノに対する考え方を知る上でも重要な資料ですが、縄文時代の住居どうしの関係や集落構造を理解する上で重要な手掛かりとなります。例えば、ある埋甕炉の土器と別の住居で発見された埋甕炉の土器が接合する場合、もとは1つの土器であったと考えられるため、この2つの住居には同じ人々が住んでいた、または両者の居住者に血縁関係があった、と推察できます。

2)柱穴と「建替え」
 続いて、住居内に13基ほど存在している穴に目を向けます。これらは柱を建てた穴(柱穴)と考えられ、よく観察するとほとんどが2基1対で配置されていることがわかります。これほど近接して同時に柱が建てられていたとは考えにくく、どちらか一方のみに柱が建てられていたと考えられます。つまり、柱穴には古いものと新しいものが存在しており、少なくとも一度は上屋の建替えが行われていたと判断できます。こうした痕跡は、縄文時代中・後期の中部〜東北地域でしばしば見られます。

 建替えの背景については複数の理由が考えられます。1つ目は、柱の根腐れです。竪穴住居は地面に直接柱を建てているために、地中の水分で柱が腐ってしまうのです。2つ目は、虫害です。シロアリなどの害虫によって、柱や屋根材が被害にあったことも考えられます。3つ目は、結婚・出産・死去などによる居住人数の増減などの社会的要因です。このほかにも、災害や狩猟採集のためなど様々な理由が推察できます。

 近年の詳細な発掘調査や炭素年代測定法などから、1つの竪穴住居の存続期間の平均は10年前後と考えられています1)。出産し、子育てや育児・教育をしていく期間と考えると、妥当な年数ともとれます。また、検出される竪穴住居の中には、焼失したと考えられるものが比較的多く見られます。もしかしたら、長期的に住み続けると柱などに根腐れや虫害が起こることを経験的に知っていたのかもしれません。虫害が他の住居に広がらないように、意図的に焼き払う行為などが、廃屋儀礼として行われた可能性が指摘されています。

竪穴住居とは
 ところで、「竪穴住居」とはどのようなものなのでしょうか。
 竪穴住居は、地面に穴を掘り、柱を建てて屋根を組んだ半地下式の住居です。人類が建てた最も古い住まいの1つとして知られます。日本列島では縄文時代早期ごろから出現し、前期には確実に存在していました。移動を繰り返しながら生活していた旧石器時代の人類が、ひとところに落ち着いて「定住」を始めたことを示す重要な遺構です。

 竪穴住居という語は明治期の考古学者が使い始めたものです。当時の考古学界では、先史時代の人々がどのような住居に住んでいたのかについて、現在のように具体的にはわかっていませんでした2)。その当時の有力な説の1つとして、斜面に横穴を掘って洞窟をつくり、そこに居住する「横穴住居」説が唱えられていました。
 一方で、江戸時代末から明治初期にかけて現在の北海道を調査した人々からは、アイヌの人々が住んでいた竪穴住居が報告されており、こちらも古代の人々の住居の1つと考えられました。そこで、「横穴」に対して「竪穴」住居と呼ばれることになりました。
 しかし、その後の研究の進展で、「横穴住居」のほとんどがお墓(横穴墓)であることが判明し、「横穴住居」という語自体が使用されなくなってしまいました。そのため、対をなす語を失った「竪穴住居」だけが現在でも使用されているというわけです。「竪穴」であることを今でもなお強調しているのはそのためです。

 ちなみに海外では「Pit dwelling」や「Subterranean dwelling」などと呼ばれます。直訳すれば「穴居」や「地下式住居」となり、こちらのほうが実態を捉えた表現であるともいえます。

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 以上、竪穴住居の模型から縄文時代の人々の生活を考えました。現在でも、政治・経済の世界では社会の最小単位は「世帯」であることから、考古学でも竪穴住居1つを考察することで当時の社会の一端を知ることができます。「住居」という人間が意図的に作った空間を考えることは、その住居が存在した環境や社会・技術を知ることにつながります。皆さんも、自分の住居から見えてくるものを一度考えてみるのも面白いかと思います。

(佐藤 兼理・当館学芸員)

参考文献

1)小林謙一「縄文竪穴住居のライフサイクルと時間」『ムラと地域の考古学』同成社、2006年
2)赤山容造「竪穴住居」『縄文文化の研究 8 社会・文化』雄山閣、1982年

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