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おうちでみきのすけ(令和4年4月2日公開)

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松平造酒助江戸在勤日記 全五十冊             当館所蔵

(パンチの守)これは当館で所蔵している『松平造酒助(みきのすけ)江戸在勤日記』じゃ。2022年4月1日現在常設展示室で日記の一部を展示しているぞ!

(犬のカメ)へぇ~!あの松平造酒助の!

パンチのかみ・・・。おぬし松平造酒助がどんな人が知っているのか?

カメいえ!知りません!でも歴史上の有名な人かなと思ったので知っているふりをしました!

パンチのかみやれやれ。松平造酒助は歴史上の有名な人物ではないが、庄内藩(現在の山形県鶴岡市)の上級武士で、元治元年(1864)8月から1年間江戸に在勤して、江戸市中取締の任に当たった人物じゃ。

カメへぇ。今で言うと1年間東京に転勤して来て働いている感じですか?

ちょっと違うがまあイメージでいうとそんな感じじゃ。造酒助はその間に50冊にも及ぶ絵日記を記して国元の家族に送っていたのじゃ。

へぇ。今で言うと単身赴任のお父さんが家族に日々の生活の様子を写真と一緒にメールで送っている感じですか?

パンチのかみおぬしは「今で言う」のが好きじゃのう。まぁそんな感じと言えばそんな感じじゃ。造酒助の日記を読み解くと幕末の江戸の人々のリアルな生活が見えてくるのじゃ。

カメへぇ。今で言うとSNSでその人の日々の生活の様子を垣間見る感じですね。

パンチのかみもう「今で言う」は禁止じゃ!

カメすみません!とても面白そうですが、う~ん、何が書いてあるかさっぱり読めません!

パンチのかみ安心するのじゃ!ワターシも読めない!

カメ安心できない!

パンチのかみ安心するのじゃ!担当学芸員に教えてもらうから大丈夫なのじゃ!

※ 書き下し文には便宜上送り仮名が付してあります。

松平造酒助江戸在勤日記

松平造酒助江戸在勤日記

パンチのかみ日記のうち、神奈川県に関係する部分を抜粋しながら読んでみるかのう。鎌倉・江ノ島は、江戸時代から人気の観光地だったのじゃ。江戸在勤の地方藩士たちは在勤中に一度は訪れたいと願っていたのじゃ。庄内藩士の松平造酒助の日記には、鎌倉・江ノ島への日帰り旅を試みた部下がいたことが記されているのじゃ。

カメうっすら「鎌倉」と「江ノ島」の文字は分かりますね!

パンチのかみ古文書の解読は難しいからのう。担当学芸員の翻刻(崩し字を活字にしたもの)と書き下し文を読んでみようか。

 

松平造酒助江戸在勤日記

 

≪翻刻≫
天気よし、久蔵来り申聞候ハ十二日ニ鎌倉より江ノ嶌一見日帰ニ参度内意申聞候、里数は十八九里之処之由、此頃も足ためしに横濱辺参り候と申候、御家中随一ノ早足故至極可然

≪書き下し≫
天気よし、久蔵来申し聞き候は十二日に鎌倉より江ノ嶌一見日帰に参りたき内意申し聞き候、里数は十八九里の処の由、此頃も足ためしに横濱辺参り候と申し候、御家中随一の早足故至極しかるべく

カメあ。「天気よし」は何となく読めますね!久蔵と言う人が部下のことですね。12日に鎌倉から江ノ島に日帰りで行きたいという申し出があったということですね。

パンチのかみ距離は18、9里(約72~76キロ)。久蔵はこの頃横浜にも足試しに行ったことがあると言った。庄内藩の中で随一の俊足だから至極当然という意味かな。

カメ久蔵さんはとても足が速かったんですね!

 

松平造酒助江戸在勤日記

 

≪翻刻≫
久蔵呼出し江ノ嶌鎌食(倉)八満(幡)行聞候事申達、男四郎内々相談いたし、御家中ニて是迄江ノ嶌へ日帰参候者有之間敷、万一ノ節御用可立人ニ候、江嶌之名物一品持帰候様申付候間、内々御土産ニ差上させ度と存候、如何可有之やと申候処、誠ニ珍敷人也、至極可然間尚又御申付可然と申ニ付委細云々申達候
≪書き下し≫
久蔵呼び出し江ノ嶌鎌倉八幡行聞き候事申し達、男四郎内々相談いたし、御家中にて是迄江ノ嶌へ日帰参り候者これあるまじく、万一の節御用立つべき人に候、江嶌の名物一品持ち帰り候様申し付け候間、内々御土産に差し上げさせたくと存候、いかがこれあるべくやと申候処、誠に珍敷人なり、至極しかるべく間尚又御申し付けしかるべくと申につき委細云々申し達し候

カメ部下の久蔵さんを呼び出して、庄内藩内でこれまで江ノ島に日帰りした人がいないから今後何かの役に立つかもしれないから行ってもいいと伝えたんですね。

パンチのかみ今は東京から鎌倉・江ノ島は電車などを利用して日帰り旅ができるが、江戸時代は電車などないので、それまで庄内藩士の中に鎌倉・江ノ島への日帰り旅を試みた者はいなかったのじゃ。お土産を買って来いと伝えたようじゃな。

カメあはは!出張に行ってもいいけどお土産を買ってきてほしいなんて結構お茶目ですね!僕もお土産大好きだからなんだか親近感がわくな!

 

松平造酒助江戸在勤日記

 

松平造酒助江戸在勤日記

 

≪翻刻≫
六ツニて支度、品川番所ニて手間取、江ノ嶌迄一走りいたし、四ツ時□ 趣申ニ付先達頼、拝所不残拝、岩穴二丁余入候処鳩十羽程居処有之、不残見候て岩本院ニ寄札請、所之名産貝細工整、食事いたし処、昼より少廻り
≪書き下し≫
六ツにて支度、品川番所にて手間取、江ノ嶌迄一走りいたし、四ツ時□ 趣申につき先達頼み、拝所残らず拝み、岩穴二丁余入り候処鳩十羽程居処これあり、残らず見候て岩本院ニ寄り札請、所の名産貝細工整え、食事いたし処、昼より少廻り

パンチのかみ久蔵は、慶応元年(1865)4 月12 日の明六ツ(午前6時頃) に江戸の屋敷を出発、品川番所で手間取ったが江ノ島まで一走り、四ツ(午前10時頃)に到着したのじゃ。

カメ案内人を頼みすべて拝観したんですね!短い時間で全部見るために案内人を頼むなんて中々段取りがいいですね!案内人がいるくらいこの頃の江ノ島は観光地として発展していたんですね!

パンチのかみ日記より少し前じゃが江戸時代に描かれた江ノ島の様子を浮世絵で見てみようかのう。

 

相州江の島弁才天開帳詣本宮岩屋の図 嘉永年間(1848~1853年) 初代歌川広重

相州江の島弁才天開帳詣本宮岩屋の図 嘉永年間(1848~1853年) 初代歌川広重

カメうわ!観光客でにぎわっていますね!久蔵さんもこんな感じだったのかな~?

パンチのかみそうかもしれないのう。では続きを読んでみようか。

カメはい!え~っと何々?岩穴に鳩が十羽位いたのか~。浮世絵でいうと右側の穴のところですね!名物の貝細工を買い、食事を済ませたのは昼過ぎになってしまったんですね!

パンチのかみ食事が遅くなっても頼まれたお土産をちゃんと買っているのが偉いのう。

カメあはは!お腹が減っていただろうにあれがいいかこれがいいか悩んだんですかね。

御手洗正邦自画詠 江島鎌倉名所図会(久蔵がお土産を買った貝細工屋さんイメージ)

松平造酒助江戸在勤日記

松平造酒助江戸在勤日記

 

松平造酒助江戸在勤日記

 

≪翻刻≫
鎌倉八満ニ何方角より参候や承候処、向之山道より参候処なりと申ニ付又走り出候処、道数本有之、とんと不知れ踏迷ひ、其内日蔭も八ツ頃ニも相成候模様ニ付無拠東街道(東海道)方心差、漸本道ニ出、不残念八満参兼、大森より暮候て漸駈付候、人之噺ニて八満迄十八里、鎌倉より江嶌迄三里と申候得共、左様は有之間敷、鎌倉迄ハ十四五里ならて無之、江嶌迄十六里位ニ可有之、迷候て余慶之道走り、都合往来ニて三十五六里も可有之やと申、草臥と承候処、股少立候と申、休候とて帰ル、一同感心なりとて噺いたし皆々帰

≪書き下し≫
鎌倉八幡にいずれの方角より参り候や承り候処、向の山道より参り候処なりと申につき又走り出し候処、道数本これあり、とんと知れず踏迷ひ、其内日蔭も八ツ頃にも相成候模様につきよんどころなく東街道(東海道)方心差し、漸本道に出、残念ならず(ママ)八幡参りかね、大森より暮候て漸駈付け候、人の噺にて八幡迄十八里、鎌倉より江嶌迄三里と申候らえども、左様はこれあるまじく、鎌倉迄ハ十四五里ならでこれなく、江嶌迄十六里位にこれあるべく、迷候て余慶の道走り、都合往来にて三十五六里もこれあるべくやと申、草臥(くたびれ)と承り候処、股少立候と申、休候とて帰る、一同感心なりとて噺いたし皆々帰

 

パンチのかみ鶴岡八幡宮へ行こうと道を聞き、また走り始めたが、山道が何本もあり迷ってしまい、結局八幡宮へはたどり着けなかったのじゃ。八ツ(午後2時頃)には東海道を目指したが大森で日が暮れ、五ツ半(午後9時頃)にやっと屋敷に帰ってきたのじゃ。

カメ人の話では八幡まで18 里(約72キロ)、鎌倉から江ノ島まで3里(約12 キロ)だったけど、実際には鎌倉までは14、5 里しかなく、江ノ島は16 里くらい。でも迷ったから往復で35、6里(約140キロ)も走ったとのこと?ただでさえ結構な距離があるのに道に迷ってしまったからすごい距離を走ったんですね!

パンチのかみ庄内一の速足とはいえ、久蔵の健脚ぶりには驚かされるばかりじゃな。

 

松平造酒助江戸在勤日記

 

松平造酒助江戸在勤日記

≪翻刻≫
久蔵帰りしと申ニ付皆々出て雨戸明逢、土足侭右之手ニは挑灯持、左之手ニは重箱二ツ重位之物風呂敷ニ包持
同十三日
晴天、久蔵来り 上への上物二品、我へも貝細工屏風一持参、外江ノ嶌之絵図一枚持参、是より板橋廻りなりとて帰ル

≪書き下し≫
久蔵帰りしと申につき皆々出て雨戸明け逢、土足侭右の手には挑灯持ち、左の手には重箱二ツ重位の物風呂敷に包み持つ
同十三日
晴天、久蔵来り 上への上物二品、我へも貝細工屏風一持参、外江ノ嶌之絵図一枚持参、是より板橋廻りなりとて帰る

 

パンチのかみ屋敷に到着した際、久蔵は手ぶらではなく、右手に提灯、左手に重箱2つ程の風呂敷包みを持っていたのじゃ。風呂敷包みには土産物が入っており、上(殿様)への献上品2品、造酒助へも貝細工の屏風一つ、ほかに江ノ島の絵図1枚を土産に持ち帰っているのじゃ。そのまま板橋へ見廻りに出るとのこと。「お巡りさん」の語源になった、江戸市中取締りの見廻りじゃな。

カメわあ!造酒助も無事お土産もらえて良かったですね!前日にすごい距離走ったのに次の日はもう通常勤務しているなんて!

パンチのかみ次の日位お休みをもらってゆっくりできればよかったのにな。

カメ最初はぐにゃぐにゃっと呪文みたいな字が並んでいてさっぱりわかりませんでしたが、日記を読むとすごく人間味があふれていて面白いですね!

パンチのかみそうじゃろう。そうじゃろう。当館では2023年2月18日(土)~4月9日(日)までの間、特別陳列「松平造酒助江戸在勤日記-武士の絵日記-」を開催するぞ。ここで紹介した絵日記以外にもたくさんの絵日記が展示されるからぜひ来てほしいのう!

カメわあ!古文書に興味が有る人は必見ですね!楽しみだな!

 

≪参考画像≫ 鎌倉江の島金沢張交帖 江嶋一望図(久蔵がお土産に買ってきた江の島絵図イメージ)

松平造酒助江戸在勤日記 第31冊

こちらはJSP科研費JP18K00951の助成を受けた研究の成果の一部です

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