横浜美術史【第Ⅲ期 横浜絵】

【第Ⅲ期 横浜絵】

展示風景

 「横浜絵」―この言葉が意味する内容は、あまり理解されていないかもしれません。幕末明治、横浜の地から輸出された平面造形一般が、そこに含まれていました。ですから、肉筆絵画も版画も含まれていたといえます。来日外国人の土産物を核としてそれらは昭和戦前まで、いわゆる日本の近代の時間のなかで使用されていました。その輸出という行為により、その作例が特定されなかったため、近年まで、きちんと論証されてきませんでした。加えて、近代の輸出にしばしば認められる粗製濫造という特徴が横浜絵の伝承のいくつかでは指摘されてもおり、その否定的な言説がまた研究への意欲を低下させる要因のひとつになりました。

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 しかし、戦後そして近年、横浜絵の研究は大きく進展し、その発展に当館も大きく寄与してきました。かつて横浜絵の一角を担っていた版画一般は、「横浜浮世絵」という名称で新たにひとくくりにされ、新たな意味づけがなされていきました。特に横浜浮世絵は国内向けの制作であることが明らかにされ、他方、海外向け輸出用錦絵の一例として《大倉孫兵衛旧蔵錦絵画帖》を先に本トピック展で紹介しました。そしてこのたび紹介するのが、肉筆の横浜絵です。五姓田派の肖像画を中心に、横浜絵の一端をご紹介します。

 輸出用の肉筆絵画、その代表的作家が五姓田工房でしょう。初代五姓田芳柳を筆頭に、その息子義松や娘渡辺幽香、弟子の二世五姓田芳柳や山本芳翠、平木政次などが、その工房で制作し、指導し、そして学び、多方面で活躍しました。彼らは西洋絵画の表現を模倣し、陰影をつけた肖像画を得意としました。

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 その技術は初代芳柳がはじめ、娘幽香、弟子の平木政次、また二世芳柳やその弟子にあたる徳永柳洲らにも伝えられました。確かに見た目こそ、西洋絵画のような印象をうけますが、裏彩色をほどこすなど、東アジア絵画の伝統的な技術を採用している点も興味深い事実です。またその技術で、肖像画以外にも風俗画や風景画なども描いたことが知られています。そして、この肖像画の技術はまた五姓田派以外の絵師たちにも広がったことも、今では忘れ去られた事実です。

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 ただ、このように輸出・販売を強く意識した制作は、西洋由来の「美術」「芸術」という思想、またその制度とは必ずしも相容れない存在でした。本格的な油彩による肖像画が一般的となる大正昭和の美術界の評価ともなじまなかったことでしょう。しかし、充分とはいえなかった画材や技術理解というハンデを乗り越えて、西洋の表現への接近を試み、ある種の達成を果たした彼らの作例からは、新たな表現への前向きな意欲が伝わってきます。

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