横浜美術史【第Ⅵ期 描かれた横浜】

【第Ⅵ期 描かれた横浜】

展示風景

 年間を通じて、「横浜美術史」と題して展示を継続してきました。当館所蔵の作品で横浜美術史を編むことができるだろうか、という挑戦でした。同時にこの小さいケース1つで展示を成立させなければならない限界、コロナ禍でいつ展示活動が止まるかもわからない不安、それらの克服はどのように果たせるのかという挑戦でもありました。展示はある短い期間を区切った〔単発〕の企画だけれども、年間を通じて継続して実施することで、〔複数〕の厚みが表現できると期待しました。この狙いをもって、チャールズ・ワーグマン、大倉孫兵衛、横浜絵、五姓田派、下村観山とつないできました。ちなみに、隣のケースでは横浜浮世絵が展示され、エスカレーター近くの区画で真葛焼などの陶磁器の展示も年間を通じて継続されていることもご存じでしょう。以上あわせて「横浜美術史」としてご覧いただいた次第です。そして、本トピック展示の最終回として、清水登之≪横浜夜景≫をご紹介します。

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 清水は、明治20年(1887)栃木県生まれ。陸軍士官学校への進学を志すも失敗し、明治40年、渡米。大正元年(1912)、シアトルでオランダ人画家から洋画を学びました。大正5年にはニューヨークへ移り、デザインの仕事をしながら、美術専門学校で学びました。一時帰国した後、大正9年再渡米しました。翌年、第34回アメリカ絵画彫刻展に≪横浜夜景≫を出品しました。大正13年にはフランスへ移住。昭和2年(1927)に帰国後は、二科展を中心に活躍しました。以上の経歴を読んで、本作が作者にとって重要な位置づけであると理解されるでしょう。この作品をこのたびは、「横浜美術史」という文脈で読み解いてみましょう。
 横浜は、安政6年(1859)に開港されて、世界へと開かれました。江戸そして東京という国内最大都市の外港として、以後、一貫して主要な貿易港でした。この地にモノ・情報・人が海外からもたらされ、またこの地からモノ・情報・人が外国へと送られていきました。近代の輸出産品として生糸や茶がよく知られていますが、陶芸品もまた主要輸出品目でした。ちなみに、その代表格が真葛焼宮川香山でした。貿易では高額の金銭が動き、その現場である横浜には国内外から多くの人々が集いました。そのような貿易港横浜の夜の一角で、宴に興じる人々を通じて描くのが本作です。

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 このトピック展示では、ワーグマンから五姓田派に代表される絵画や印刷物、さらに明治期の活動を中心に紹介しました。彼らの活動は金銭の総額としては陶磁器に比べるもないほどの少額だったようです。しかし、その存在は目立ったもので、「横浜絵」という言葉でかれらの活動は今日にも伝えられています。五姓田派は明治6年(1873)の年末に横浜から東京へ拠点を移しましたが、彼らに学んだ矢内楳秀・秀嶺らにより、その活動は継承されたと考えられます。明治43年(1910)刊行の『横浜成功名誉鑑』は、開港以来、横浜で活躍した人々の略歴をまとめていますが、そこには横浜絵の代表として矢内秀嶺が登場します。わずかに現存するその作例は、まさに五姓田派が得意とした絹絵肖像画でした。横浜美術史という通史を描くとき、やはり五姓田派の存在感は大きいのです。

展示風景
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 話を≪横浜夜景≫に戻しましょう。五姓田派が横浜で海外からの技術を学び、伝統的な技術と融合させて国内へ「洋画」「横浜絵」として発信した活動とは逆に横浜から世界へ飛び立って諸外国の最先端の技術や文化を学んだのが清水です。その彼が一時帰国し、また再び海外へ挑戦する直前に横浜で描いたという逸話が本作にはあります。アメリカを知る清水の眼には、横浜の喧騒はどう映ったのでしょうか。宴の明るさとは裏腹の、空に広がるその闇の深さが印象深い。港特有のもの悲しさ、開港場横浜の猥雑さを画家は掬い取ります。以下の文章で語るこの後の横浜の歴史を考えるとき、この作品は横浜開港半世紀余りの歴史の集大成に位置づけられます。海外で学び、日本を知り、その交流の成果を示す作品という意味で、横浜美術史の近代その掉尾を飾る重要な作品と言えます。

展示風景
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 横浜美術史という歴史の流れを考えるとき、この作品はさらに一抹の寂しさを語ることになります。この作品が描かれた数年後、この風景は灰燼に帰します。大正12年(1923)、関東大震災です。
 開港以来半世紀以上かけて蓄積されてきた横浜の文物、文化、街並みそして多くの人が失われました。さらに重ねて、昭和20年(1945)の横浜大空襲によって震災復興に努めてきた新たな街もまた打撃をうけ、二度の大きな喪失が生じました。本作は、震災以前の横浜の最後の姿でもあります。いま、私たちが知る横浜の歴史は、その喪失の果てにモノと情報を再び集め、遺し、伝えようとした先人たちの努力の結果でもあるのです。当館はこれからも継続して、その豊かな文化や歴史を追求し、護り、その姿、その物語を皆さんへお届けすることを改めて誓いたく思います。

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