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遺跡展

【Webでたどる】令和2年度 かながわの遺跡展「相模川 遺跡紀行~3万年のものがたり~」

 令和2年度 かながわの遺跡展「相模川 遺跡紀行~3万年のものがたり~」の開催予定期間、国の「緊急事態宣言」を受けた「特措法に基づく緊急事態措置に係る神奈川県実施方針」に基づき、当館は臨時休館しました。せっかく展示されながら、お客様の目にふれることのなかった遺跡展。その内容を要約して掲載します。
 本展覧会の当初の開催情報はページ末尾をご覧ください。

かながわの遺跡展

 かながわの遺跡展では県内の発掘調査によって出土した資料を中心に、テーマに沿った展示を行っています。資料とじかに接することにより郷土神奈川の歴史に関心をもっていただくとともに、考古学、埋蔵文化財についての理解を深めていただく趣旨で実施しています。

令和2年度 かながわの遺跡展「相模川 遺跡紀行~3万年のものがたり~」

 本年度のかながわの遺跡展は、神奈川県内最大の河川である相模川の流域の遺跡をテーマとしました。相模川は、富士五湖のひとつである山中湖を水源とし、丹沢の山麓を潤しながら相模平野へと流れ出て、相模湾へと注ぎます。その流れは数多くの動植物を支えており、流域の生態系を豊かにしています。私たち人間もまたその例外ではなく、相模川の流域には人々の活動の痕跡が遺跡として数多く残されました。本展示では、はるか旧石器時代から始まり、3万年以上にわたって相模川のほとりで生きてきた人の歩みを見ていきます。この展示が、はるか昔から私たちと川とが織りなしてきた歴史に思いを巡らせるきっかけになれば幸いです。


はじめに

 相模川は、神奈川県内で最大の河川です。まず、この川のなりたちと、その流域全体の様子をみてみましょう。

■ 相模川のなりたち

 相模川の形成は約500万年前にさかのぼるとされています。川が運ぶ堆積物は、長い時間をかけて相模野台地を形づくり、そして台地の縁は川に削られて、河岸段丘ができました。
 地球の気温が低下する氷期には海面が大きく低下したため、相模川の河床は河口付近で今より90mも低くなり、逆に約6,000年前には、温暖化による海面上昇で現在の寒川町付近にまで海が入り込んでいました。
 その後海岸線はゆっくりと後退し、平野部には相模川の運ぶ砂礫によって自然堤防が、海岸付近では海風により砂丘が発達しました。
 これらの河岸段丘面や自然堤防・砂丘は、現在も人々の生活の場となっています。

1 相模川と本流沿川の市町村
2 本展示の関連遺跡とその時代(年代は概数)
■ 相模川の地形

 相模川の全長は約109km(国土交通省の公表値)です。
 富士五湖のひとつである山梨県の山中湖(図1 相模川のはじまり(山中湖村))を水源とし、富士山の溶岩流地帯から、丹沢山地を取り巻くように東へと流れていきます。山梨・神奈川県境手前の上野原市(図2 龍門峡(上野原市))で川幅を広げ、相模湖・津久井湖の二つのダム湖(図3 相模ダム湖 図4 津久井湖(相模原市))を経て、相模原市緑区小倉で南へと流れを変えると、川の両岸は山地から台地へと変わります。
 厚木市・座間市付近からは両岸に相模平野が展開し、海に向かって景観が大きく広がります。両岸に自然堤防帯を発達させながら流下した相模川は、最下流部の砂州・砂丘地帯を抜けて太平洋に注ぎ込みます。
 相模川は、富士溶岩→山地→台地→平野→砂丘と、多様な地形を通り抜けているのです。

図1 相模川のはじまり(山中湖村)
図2 龍門峡(上野原市)
図3 相模ダム湖
図4 津久井湖(相模原市)
3 相模川流域の地形と展示に関連する遺跡

さがみ縦貫道路の発掘調査

 本展示のテーマは「相模川周辺の遺跡」ですが、その様相を大きく明らかにしたのは、さがみ縦貫道路の建設に伴う発掘調査です。
 さがみ縦貫道路とは、2015年に開通した首都圏中央自動車道路(圏央道)の一部で、区間の大部分が相模川に沿っています。
 道路建設に先立ち、建設予定地内の発掘調査が始まったのは1997年のことです。関連工事なども含めると、発掘調査は4市1町の22遺跡で実施され、調査面積の合計は19万5,000㎡に及び、全ての調査が完了したのは2018年のことでした。
 刊行された調査の報告書は30冊にわたり、出土品は、4,500箱以上、確認された遺跡の時代も旧石器時代から近代までとまさに「相模川の歴史」を語る重要な資料となりました。

さがみ縦貫道路関係 発掘調査遺跡位置図
番号 調査遺跡
1 はじめ沢下遺跡
2 畑久保西遺跡
3 津久井城跡
4 小倉原西遺跡
5 大保戸遺跡
6 小保戸遺跡
7 葉山島中平遺跡
8 当麻遺跡
9 上依知上谷戸遺跡
10 宮ノ越・宮ノ前遺跡
11 桜樹古墳群
12 中林横穴墓群
13 河原口坊中遺跡
14 城際遺跡
15 社家宇治山遺跡
16 中野桜野遺跡
17 跡堀遺跡
18 倉見川端遺跡
19 倉見川登遺跡
20 宮山中里遺跡
21 宮山台畑遺跡
22 上ノ町遺跡

1. 川との暮らしのはじまり

■ 川と人の歴史のはじまり−旧石器時代−

 相模川(本流)の流域で現在のところ最も古い遺跡は、津久井城跡(馬込地区)で見つかった約3万3,000年前の後期旧石器時代のものです。
 相模川左岸に広がる相模の台地には旧石器時代の遺跡が多く分布しています。相模川の形成した谷や河岸段丘面は、当時の人々の生活の場であり、また他地域へと移動するルートのひとつでもありました。

展示室風景その1
展示室風景その2
津久井城跡(馬込地区)

 この遺跡では、相模川上流部で調達できる凝灰岩を素材とする石斧づくりを行なっていたほか、伊豆諸島や長野県域で採取できる黒曜石などを素材としたナイフ形石器・台形様石器などの鋭利な刃物も出土しています。
 人々は、それぞれの石器の用途に合った石材を選択し、必要に応じて遠くの石材を入手していました。

【津久井城跡(馬込(まごめ)地区)で出土した石器】

ナイフ形石器・台形様石器(黒曜石)
局部磨製石斧(凝灰岩)
打製石斧(凝灰岩)
■ 川でつながる地域−縄文時代−

 縄文時代になると、人々は土器を使用し、一か所に集まって定住生活を営むようになります。この時代の遺跡は水を得やすく、かつ水害の恐れのない、川や谷に面した台地の縁辺部などで多く見つかっています。食料の調達は狩猟・漁労や採集に頼る部分が大きく、マメ類などの栽培も行われていたようですが、人が自然環境に及ぼす影響は小さかったようです。

展示室風景その3
展示室風景その4
川尻中村遺跡から出土した埋甕
川尻中村遺跡

 相模原市緑区の川尻中村(かわしりなかむら)遺跡は、相模川の段丘縁辺に立地する、縄文時代中期を中心とした遺跡です。新小倉橋の建設に伴い、発掘調査が実施されました。調査では、墓地とみられる中央の広場をぐるりと住居が囲む「環状集落」が確認されました。


2. 川のほとりで暮らし始めた人々

■ 稲作がやってきた弥生時代

 弥生時代は稲作をはじめとした本格的な農耕が日本に広まり、根付いた時代です。水田で米をつくるために、川のそばの沖積地や谷戸などが開発され、生活の場も川沿いの自然堤防上などを選択する人々が現れました。
 関東地方南部で本格的に稲作が始まったのは、弥生時代の中ごろ(約2,200年前)です。稲作は、はるか西の近畿・東海地方から、水田をつくる技術や道具、まつりなども含めた、文化そのものとしてもたらされました。
相模川もそうした文化の通り道のひとつであり、川沿いの遺跡からも近畿地方の土器が出土しています。

展示室風景その5
展示室風景その6
河原口坊中(かわらぐちぼうじゅう)遺跡

 海老名市河原口坊中遺跡は、鳩川・中津川・小鮎川が相模川と合流する付近の自然堤防上に位置し、弥生時代以降、現代にいたるまで連綿と続く生活の場となっています。
川の合流点は、他地域と支流沿川の文物が交わる重要な場であり、河原口坊中遺跡でも、鉄製品や青銅製品などの希少品が出土しています。
 また、遺跡内を流れていた川(旧河道)の中から出土したおびただしい数の木製品は、当時の人々が様々な道具を使いこなしていたことを教えてくれます。

海老名市河原口坊中遺跡の旧河道内で確認された「しがらみ」

 しがらみは水流を弱めるために杭を並べて打ち、間に木などを渡したもので魚とりなどに利用されたものです。

河原口坊中遺跡で発掘された紡織具
機織のようす(想像図)

 糸を紡ぎ、布を織る技術も、弥生時代に新たに伝わってきたものです。

臼と杵

 臼と杵はお米からもみ殻をはずす脱穀(もみすり)に使われました。

■ 相模川周辺の古墳時代

 古墳時代になると、近畿地方のヤマト王権が中心となって各地域の有力者たちとの結びつきを強め、前方後円墳に代表される大小の古墳と、銅鏡・武器などの古墳への副葬を特徴とする古墳文化が全国的に広がります。
 古墳時代前・中期(3〜5世紀ごろ)の相模川沿いでは、玉づくりを行った遺跡や、銅鏡、5世紀ごろに新しく入ってきた須恵器などが確認されています。

展示室風景その7
展示室風景その8

 海老名市社家宇治山(しゃけうじやま)遺跡などでは、玉づくりが行われていました。また、銅鏡などの希少品や、5世紀ごろに新たに入ってきた須恵器などが出土する状況から、弥生時代と同じく、川が他地域と文物をやり取りする道のひとつとして機能していたことがうかがえます。

社家宇治宇山遺跡出土の玉づくり関係遺物
社家宇治山遺跡の方形周溝墓群

3. 古代のかながわと相模川

 7世紀後半から8世紀にかけて、日本は国家のかたちを整えていきます。全国に行政単位としての「国」「郡(評)」が置かれ、国・郡には政務をおこなう国府・郡家が設置されました。また、8世紀中ごろ〜後半には、各国に国分寺・国分尼寺が建立されました。神奈川県内でも相模国府(平塚市)や、相模国分寺・国分尼寺(海老名市)をはじめとして、こうした遺跡が調査されています。

展示室風景その9
展示室風景その10
竪穴建物内から出土した鉄鐸
(相模原市緑区中野中里遺跡)

 官衙や寺院に大規模な建物が立ち並ぶ一方で、多くの人々はこれまでと同じ竪穴建物や、掘立柱の建物で暮らしていました。
 まじないに使用したとみられる文字の書かれた土器や、県内ではめずらしい鉄鐸(鉄製のベル)が出土した遺跡もあります。


4. 川のそばの武士たち

■ 相模川流域の中世

 平安時代の終わりごろ以降は、幕府の置かれた鎌倉をはじめとして、各地に力をもつ者が割拠します。各地域の有力者である武士は、基盤とする地に館を構え、その一族郎党は地域内で大きな力をふるいました。海老名市の県指定史跡上浜田遺跡などでは、武士の居館やその関連施設とみられるものが確認されています。
 これまで調査事例の少なかった相模川沿いの自然堤防上でも、中国製の磁器や建物の周りを区画するような溝をもつ遺跡が複数見つかっており、武士の館やその関連施設の可能性があります。自然堤防上は、相模川に沿う主要な交通路となっていたことから、重視されていたことがわかります。

展示室風景その11
展示室風景その12
厚木市城際(じょうぎわ)遺跡の鉄素材となる
鉄の板(鉄〓状鉄製品)の出土状況 (※ 〓は金へんに延)
城際遺跡の鍛冶関係遺物

 厚木市城際遺跡は中世の屋敷跡と考えられますが、県内では珍しい鉄製品の材料とみられる鉄の板が溝の中からまとまって出土しました。
 鉄を溶かすために炉に空気を送る「ふいご」の羽口や、鉄を溶かした際に生じる鉄滓(てっさい)も見つかっており、遺跡内で鉄製品をつくるための鍛冶(かじ)を行っていたことがわかります。

宮ノ越・宮ノ前遺跡の埋蔵銭

 中世は、中国銭を中心とした貨幣が大量に流通し、全国に貨幣を使用する経済が浸透した時代でもあります。
 厚木市宮ノ越・宮ノ前遺跡では、倉庫とみられる地下室が多く確認され、その一つから9,700枚以上の銅銭がまとまって出土しています。
 銅銭は、地下室の底に掘り込まれた穴の中に、およそ100枚を一緡(ひとさし)として紐でまとめたものが積み重ねられており、全部で100緡ありました。

宮ノ越・宮ノ前遺跡の埋蔵銭その1
宮ノ越・宮ノ前遺跡の埋蔵銭その2

5. にぎわう川から川ばなれ

江戸時代ー相模川が最もにぎわった時代ー

 江戸時代になると、人や物の流通が活発になります。主要街道に置かれた宿場や交通の要衝地は、地域経済の中心地となってにぎわいました。また、一般村落にも肥前磁器など全国各地でつくられた道具が普及しました。
 相模川は、東海道や甲州街道のほか、江戸から延びる矢倉沢往還や中原街道といった脇往還や、南北方向に走る八王子道など、川を横断する、あるいは川に沿う数多くの道があり、人や物が盛んに往来しました。
 相模川自体も、物流の運搬路として重要な役割を担い、甲州や津久井の材木・薪炭、中流域の年貢米や各地の特産物は、川を舟で下り、須賀・柳島で廻船に積み替えられて江戸に運ばれました。

展示室風景その13
展示室風景その14
代官守屋佐太夫陣屋跡

 16世紀の末から17世紀の初めにかけて、津久井城のふもとには、津久井城主・内藤氏の家臣から徳川家(江戸幕府)の代官となった守屋氏の陣屋が置かれました。
 発掘調査では、陣屋の建物の柱を支える礎石の跡がきれいに並んで確認され、具足なども出土しています。津久井城跡ではこのほかにも江戸時代の遺物が出土しています。

発掘調査で見つかった陣屋跡
発掘調査で見つかった陣屋跡
陣屋跡から出土した具足
陣屋跡から出土した具足
近代ー川から離れ始めた人々ー

 開港と西洋文化の移入による急激な近代化の波は、相模川流域にも押し寄せ、ガラスやレンガなどが身近に見られるようになります。
 一方で、川やその周辺の環境は大きく変化し、舟運や渡船、生活用水利用などにおいて暮らしに密着していた川は、次第に人々との直接のかかわりを薄れさせていきます。

展示室風景その13
展示室風景その14
レンガ造りの酒造施設
河原口坊中遺跡の酒造施設

 海老名市河原口坊中遺跡では、レンガ造りの酒造施設が見つかりました。この施設は江戸時代から昭和初期にかけて酒造を営んだ大島酒造合資会社(1912年まで山田家、1918年まで山田酒造合資会社)のもので、盛期のようすは絵図としても残されています。発掘調査で確認された遺構では、関東大震災で破損した部分を修繕した痕跡も確認されました。


おわりに

 相模川のほとりには、川とともに生きた人々の歴史が眠っています。その3万年以上の歴史の中で、人は暮らしの中で川の存在を無視することはできず、いつも川と真剣に向き合ってきました。しかし近代以降、技術と機械力の進展に伴い、上下水道・交通網・堤防・橋・ダムなどが整備され、人と川とは急速に離れていったのです。私たちは、川の影響を受けないような丈夫な橋、より便利な道路、高い堤防などを築いたことで、より安全で便利な生活を手に入れ、川とのつながりはより希薄なものになりました。
 しかし、それらの開発は「遺跡の発掘」というかたちで、川と人との距離がもっと近かったころの記憶を呼び覚まします。現代に生きる私たちも、時には遺跡を通じて「川」を意識してみるのはいかがでしょうか。

<参考>相模川周辺の主な遺跡の地図

旧石器時代
縄文時代
弥生時代・古墳時代
古墳時代後期〜平安時代
中世
近世・近代

開催情報

主催

神奈川県教育委員会、神奈川県立歴史博物館(横浜会場)、厚木市教育委員会(厚木会場)

開催会場

横浜会場(当館)と厚木会場(あつぎ郷土博物館 企画展示室)で開催

問い合わせ

本展に関するお問い合わせは神奈川県埋蔵文化財センター(045-252-8661)へ

横浜会場(当館)

開催情報

ご来館される前にこちらをご確認ください。

会期・休館日・開館時間

■会期:2021年2月6日(土)2021年2月9日(火)~3月7日(日)
■休館日:月曜日、2月12日(金)、16日(火)、24日(水)
■開館時間:9時30分~17時(入館は16時30分まで)
■観覧料:常設展観覧券でご覧いただけます。
 一般300円(250円)、20歳未満・学生200円(150円)、高校生・65歳以上100円(100円)
※中学生以下・障害者手帳をお持ちの方は無料、( )内は20名以上の団体料金
※神奈川県立の美術館・博物館等の有料観覧券の半券提出による割引制度あり

会場

神奈川県立歴史博物館 1階 特別展示室

関連行事

※新型コロナウイルス感染症の感染拡大の状況を鑑み、以下の催し物の開催は中止とします。

  • 特別講演「相模川流域からみた中世社会
  • 特別講演「再考 南関東の弥生文化
  • みどころ解説

関連資料

令和2年度 かながわの遺跡展 【相模川遺跡紀行】 関連文献リスト

厚木会場(あつぎ郷土博物館)

会期・休館日・開館時間

■会期:2020年12月24日(木)~2021年1月24日(日)1月11日(月・祝)
■休館日:12月28日(月)~1月3日(日)
■開館時間:9時~17時(入館は16時30分まで)
■観覧料:無料

会場

あつぎ郷土博物館 企画展示室

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