当館について
研究報告
『神奈川県立博物館研究報告 —人文科学—』(ISSN 2758-7487)
*1号から11号までの名称は『神奈川県立博物館研究報告 考古・歴史・美術・民俗』
50号 2023(令和5)年12月 |
[論文] 渡邊浩貴「鎌倉幕府の音楽と地下楽人 ─都市鎌倉の成長と「独自編成型」の音楽受容─」本文 嶋村元宏「幕末期における「開国」認識」本文 [資料紹介] 鈴木愛乃「当館所蔵 横浜写真アルバムの表紙について ─輸出漆器としての観点から─」本文 山下春菜・丹治雄一「寄贈資料「宮地正彰関係資料」と明治屋」本文 三浦麻緒「当館所蔵 高座郡小出村遠藤のエビス講関連書類について」本文 [実践報告] 大柳麻美「若年層に向けた来館意欲を高める事業について」本文 |
49号 2022(令和4)年12月 |
[論文] 嶋村元宏「幕末における外国使節への接遇とまなざし ―アメリカ・ペリー使節とハリス使節を中心に―」本文 [研究ノート] 神野祐太「海老名・相模国分寺不動明王坐像について」本文 寺西明子「救恤から見る有力農民の役割 ―橘樹郡長尾村「鈴木藤助日記」研究の試論として―」本文 [資料紹介] 千葉 毅・小畑弘己「横浜市公田ジョウロ塚遺跡採集縄文時代土製頭部片の圧痕について」本文 梯 弘人「本光寺文書所収「御印判目録」について」本文 橋本遼太「興悦筆溌墨山水図」本文 根本佐智子「神奈川県立歴史博物館所蔵 七沢村と煤ヶ谷村田畑境并山論裁許絵図」本文 |
48号 2022(令和4)年2月 |
[論文] 神野祐太「海老名・龍峰寺千手観音菩薩立像について」本文 嶋村元宏「仙台藩儒・大槻磐渓によるペリー来航前後の情報収集活動とその活用」本文 [研究ノート] 梯弘人「小田原北条氏と本光寺の関係―大徳寺龍泉派寺院への関与について―」本文 渡邊浩貴「近世村落の湧水紛争と水資源開発―近江国甲賀郡柏木御厨故地の水論絵図から―」本文 武田周一郎「芝浦製作所電気技術者の岸敬二郎と関東大震災の復興事業」本文 [資料紹介] 寺西明子「相模国津久井県与瀬村名主・問屋役の由緒―坂本是正家文書資料文政三年「与瀬本村名主内蔵助天正年中より代々名主役相勤候儀記置申候」―」本文 |
47号 2020(令和2)年12月 |
[論文] 渡邊浩貴「初期鎌倉幕府の音楽と京都社会―「楽人招請型」の音楽受容とその基盤―」」本文 [資料紹介] 戸田哲也・中山 豊・千葉 毅「横浜市十王堂免遺跡の縄文時代礫斧―林國治氏旧蔵資料―」本文 梯 弘人「九月廿三日付北条氏規書状について」本文 古宮雅明「富士山宝永噴火被災地への幕府の救済活動に関する未紹介資料」本文 根本佐智子・古宮雅明「松平造酒助江戸在勤日記―慶応元年閏五月九日より同八月十一日―」本文 |
46号 2019(令和元)年10月 |
[論文] 渡邊浩貴「中世都市鎌倉と地下楽家中原氏 ―中原有安・景安・光氏の系譜と活動を中心に―」本文 神野祐太「神奈川・松蔭寺所蔵銅造如来像(伝阿弥陀如来像)とその伝来」本文 武田周一郎「「神奈川県鳥瞰図」の作成過程と利用の実態」本文 [研究ノート] 小松百華「海北家所蔵「覚書」にみる海北派絵師の動向」本文 [資料紹介] 千葉 毅「神奈川県立歴史博物館所蔵横浜市公田ジョウロ塚遺跡採集 縄文時代土製頭部片のX線CT撮影による分析」本文 根本佐智子・古宮雅明「松平造酒助江戸在勤日記 ―元治二年正月十一日より慶応元年閏五月九日―」本文 |
45号 2019(平成31)年3月 |
[論文] 永井 晋「鎌倉時代中期における鎌倉の密教」本文 橋本遼太「横浜市宝生寺所蔵仏涅槃図の表現と伝来について―鎌倉地域における円覚寺本仏涅槃図の影響力―」本文 [研究ノート] 嶋村元宏「神奈川県立歴史博物館所蔵『阿部家資料』について―備後福山藩阿部家旧蔵資史料との関係を中心に―」本文 [資料紹介] 根本佐智子「神奈川県立歴史博物館所蔵『関八州大絵図』について」本文 根本佐智子・古宮雅明「松平造酒助江戸在勤日記―元治元年十一月朔日より元治二年正月十一日―」本文 三浦麻緒「篠原歌舞伎の地芝居衣裳について―付・当館所蔵衣裳一覧表―」本文 [修理報告] 橋本遼太・小井川 理・半田昌規・朝賀 浩「重要文化財『絹本著色 十王図』保存修理事業報告」本文 |
44号 2018(平成30)年1月 |
[論文] 永井 晋「中世都市鎌倉における密教の成立と展開」 [研究ノート] 桑山童奈「 神奈川県立図書館蔵『横浜風景画帖』にみる版元和泉屋市兵衛の横浜進出」 根本佐智子「川崎宿復元の試み」 小井川 理「近代鎌倉彫における古面意匠の採用について―鎌倉彫後藤家の帳簿類と現存作例から―」 新井裕美「神奈川県内の高遠石工の活動―江戸時代中期から明治時代末期における石造物の造立状況―」本文 嶋村元宏「博物館資料を活用した歴史体験プログラムについて―『地域素材の教材化』考―」本文 田辺可奈「常設展示室における来館者動向について―ボランティアスタッフの視点から―」本文 [資料紹介] 根本佐智子・古宮雅明「松平造酒助江戸在勤日記―元治元年十月朔日より十一月十日―」本文 |
43号 2016(平成28)年12月 |
[研究ノート] 鳥居和郎「北条氏綱像の改変について―北条早雲像、氏康像、時長像などとの比較から―」 丹治雄一「明治期の箱根山周辺安山岩の石材利用と土屋大次郎の事業活動」本文 [資料紹介] 千葉 毅「神奈川県立歴史博物館所蔵の縄文時代撚糸文期土器群―林國治氏旧蔵の横浜市十王堂免遺跡採集資料―」本文 吉永亜紀子・千葉 毅「神奈川県立歴史博物館所蔵の縄文時代前期貝塚出土動物遺体 ―横浜市上台遺跡住居址内貝塚ブロックサンプルの分析―」本文 高橋 健・千葉 毅「神奈川県立歴史博物館所蔵の骨角器—林國治氏、赤星直忠氏旧蔵の横浜市称名寺貝塚採集資料—」本文 建石 徹・降幡順子・千葉 毅「神奈川県立歴史博物館所蔵横浜市称名寺貝塚採集土器の胎土分析および赤色顔料分析」本文 神野祐太「神奈川県立歴史博物館所蔵の銅造観音菩薩立像について ―付・神奈川県所在善光寺式阿弥陀及び脇侍像一覧―」 鳥居和郎「山北中学校遺跡出土の武蔵型板碑について」本文 小井川 理「個人所蔵 永徳四年銘鶴岡八幡宮金銅納経札について本文」 根本佐智子・古宮雅明「松平造酒助江戸在勤日記―元治元年九月十一日〜十月朔日―」本文 寺嵜弘康・武田周一郎「横浜正金銀行中井芳楠・長三郎関係資料群について」本文 [事業報告] 嶋村元宏「幕末期の日露関係資料について―「海の学び調査・研究サポート」支援事業報告―」本文 |
42号 2015(平成27)年11月 |
[研究ノート] 古川元也「新安沖沈没船の墨書瓷器について」本文 古宮雅明「『従江戸長崎迄海陸之絵図』小考」 寺嵜弘康「横浜正金銀行の海外展開―ニューヨーク出張所の開設を中心に―」本文 [資料紹介] 千葉 毅「神奈川県立歴史博物館所蔵の考古資料―林國治氏、小林小三郎氏旧蔵の横浜市称名寺貝塚採集資料―」本文 永井 晋「『鎌倉証菩提寺年中行事』にみえる天台寺門流の僧侶」本文 根本佐智子・古宮雅明「松平造酒助江戸在勤日記—元治元年九月二日〜九月十一日—」本文 嶋村元宏「信濃国松代藩の横浜警衛に関する史料について ―国文学研究資料館「信濃国松代真田家文書」を中心に―」本文 |
41号 2014(平成26)年10月 |
[論文] 嶋村元宏「ペリー来航に関わる情報収集活動とその伝播について—画像資料を中心に—」本文 研究ノート 鳥居和郎・根本佐智子「後北条氏遺臣桜井氏の越前関係文書について」本文 武田周一郎「明治期府県管内図の作成主体について—神奈川県を事例として—」本文 丹治雄一「神奈川県庁所蔵四代目神奈川県庁舎実施設計図とその内容について」本文 [資料紹介] 根本佐智子・古宮 雅明「松平造酒助江戸在勤日記—元治元年八月十八日〜九月朔日—」本文 桑山童奈「石崎源六版『三五景一覧』の絵師たち —「人名録」を手がかりに—」本文 |
40号 2013(平成25)年10月 |
[論文] 角田拓朗「《東海道懐古帖》の史的位置―リアリズムをめぐるあるひとつの断層―」 [研究ノート] 古川元也「鎌倉の志一上人について」 鳥居和郎「北条氏の京都外交と小田原城内出土の京風かわらけについて」本文 [資料紹介] 梅沢 恵「冷泉為恭筆 釈迦三尊像」 寺嵜弘康「横浜正金銀行員の肖像―川島忠之助資料から―」本文 [目録] 「神奈川県立博物館研究報告―人文科学― 総目次(第1号〜第40号)」 「調査報告・資料集成・総合研究報告等目録」 「科学研究費補助金による調査研究事業」 |
39号 2013(平成25)年3月 |
[論文] 古宮雅明「富士宝永噴火を描いた絵図についての考察」 [研究ノート] 武田周一郎「橘忠助氏旧蔵美術資料群と明治期府県管内図」本文 [資料紹介] 丹治雄一「横浜正金銀行本店の関東大震災復旧工事資料について―神奈川県立歴史博物館所蔵「横浜正金銀行本店等震災復旧工事関係資料」のうち「決定見積書」の紹介―」本文 |
38号 2012(平成24)年3月 |
[論文] 古川元也「円覚寺智真「夢記」と「仏日庵公物目録」」 角田拓朗「「チャールズ・ワーグマン」という画家の位相 ―神奈川県立歴史博物館所蔵水彩画群と『イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ』の比較検証を中心として―」本文 [研究ノート] 嶋村元宏「アメリカ人旅行家ウィリアムズ女史が観た明治の日本 ―当館所蔵『ウィリアムズ女史日本旅行記念蒐集資料』から―」本文 [資料紹介] 千葉 毅「神奈川県立歴史博物館所蔵の土偶・人面把手」本文 近野正幸「横須賀市蛭畑(ひるばたけ)遺跡出土の人面付土器について」本文 梅沢 恵「宝生寺所蔵の二種の羅漢図について」 |
37号 2011(平成23)年3月 |
[論文] 寺嵜弘康「横浜正金銀行創立当初の職制と行員について」本文 [研究ノート 作品・資料紹介] 角田拓朗「橘忠助氏旧蔵美術資料群について」本文 |
36号 2010(平成22)年3月 |
[資料紹介] 薄井和男「足柄神社の木造男神坐像について」 桑山童奈「木版画摺師 正文堂の仕事」本文 角田拓朗「神奈川県立歴史博物館所蔵近代版画コレクション」本文 寺嵜弘康「横浜正金銀行券について(II)―横浜正金銀行資料コレクションの紹介 その3 ―」本文 |
35号 2009(平成21)年3月 |
[論文] 梅沢 恵「神奈川県立歴史博物館所蔵十六羅漢図修理報告」 古川元也「「仏日庵公物目録成立」に関する一考察」本文 古宮雅明「富士山宝永噴火被災地の川普請と幕府の対応」本文 丹治雄一「旧横浜正金銀行本店本館における創建時の金庫扉・スチールサッシ・スチールシャッターの残状況について」本文 |
34号 2008(平成20)年3月 |
[論文] 古川元也「京都本法寺内所在の本阿弥家墓石について」本文 鳥居和郎「後北条氏関係文書の料紙と折式について―形と折りに込められた意識―」本文 鈴木通大「「三匹獅子舞」研究の現状と課題」本文 [資料紹介] 寺嵜弘康「横浜正金銀行券について(I)―旧横浜正金銀行資料コレクションの紹介 その2 ―」本文 |
33号 2007(平成19)年3月 |
[研究ノート] 佐々木登美子「絵画資料に見る笈の形式」 鳥居和郎「越前における後北条氏遺臣桜井氏について」本文 古川元也「京都本法寺墓地の無縁石造物について」本文 [資料紹介] 寺嵜弘康「神奈川県立歴史博物館所蔵の旧横浜正金銀行調査部図書について―旧横浜正金銀行資料コレクションの紹介 その1―」本文 |
32号 2006(平成18)年3月 |
[論文] 鳥居和郎「桜井武兵衛覚書について―内容とその成立背景の検討―」本文 [研究ノート] 古川元也「大川戸熊野神社文書について」 [資料紹介] 梅沢 恵「總持寺所蔵の中世絵画―春日社寺曼荼羅と役行者像―」 嶋村元宏「ペリー来航絵巻について(二)」本文 |
31号 2005(平成17)年 |
[論文] 國平健三「相模国分寺の研究(中)」本文 [研究ノート] 桑山童奈「『役者見立東海道』研究」本文 古宮雅明「朝鮮通信使の通行と地域の負担についての覚え書き―小田原における饗応接待の食材(鶏と卵)の調達について—」本文 |
30号 2004(平成16)年3月 |
[論文] 國平健三「相模国分寺の研究(上)」本文 古川元也「山北町指定重要文化財「箱根権現縁起絵巻」について」 [資料紹介] 嶋村元宏「ペリー来航絵巻について(一)」本文 |
29号 2003(平成15)年3月 |
[論文] 古川元也「日輪をあらわす長烏帽子形兜について」本文 [史料紹介] 嶋村元宏「川村清兵衛「房総相模御備場取調書」について」本文 [資料紹介] 桑山童奈「「東海道名所風景」における現・神奈川県域の表現」本文 |
28号 2002(平成14)年3月 |
[論文] 古川元也「京都妙覚寺墓地の無縁石造物考―中世移行期の葬送と石塔造立―」本文 鳥居和郎「後北条氏文書に見られる二つ折の懸紙について」本文 [研究ノート] 寺嵜弘康「関東大震災と「社寺文化財」の復旧―神奈川県域を中心に―」本文 |
27号 2001(平成13)年 |
鳥居和郎「戦国大名北条氏と本願寺―「禁制」関係史料の再検討とその背景―」本文 古川元也「鎌倉彫と鎌倉物―三条西実隆の意識から―」本文 相澤正彦「初期狩野派の北野天神縁起絵巻(下)」本文 |
26号 2000(平成12)年3月 |
[論文] 相澤正彦「狩野元信の鞍馬蓋寺縁起絵巻について―新出の毛利家模本に関連して―」 [研究ノート] 横田洋一「明治の石版画より 笑う子供たち」 鈴木通大「葬送儀礼の持続と変化について―大和市深見地域の事例を中心に―」本文 |
25号 1999(平成11)年3月 |
塩澤寛樹「神奈川・證菩提寺阿弥陀三尊像再考」 横田洋一「写真的視覚の交錯と近代日本絵画の諸相」本文 |
24号 1998(平成10)年3月 |
相澤正彦「初期狩野派の北野天神縁起絵巻(上)」本文 塩澤寛樹「横浜・木造真福寺千住観音立像について」 |
23号 1997(平成9)年3月 |
塩澤寛樹「小田原市・宝金剛寺銅像大日如来坐像について」 鳥居和郎「東国における京仏師の活動について」本文 鈴木通大「神社整理後の「神社復祀」について」本文 [研究ノート] 國平健三「相模国府研究の現状―発掘調査成果による大住府についての検討(1)―」本文 |
22号 1996(平成8)年3月 |
塩澤寛樹「川崎市・影向寺二天立像について―その制作年代を中心として―」 鳥居和郎「後北条氏による医師の招来と近衛家について―新出の北条氏康宛の近衛稙家書状から―」 横田洋一「十九世紀の海外情報と異国人のイメージ―『童絵解萬國噺』を中心にして―」 [研究ノート] 國 雄行「1910年 日英博覧会について」本文 |
21号 1995(平成7)年3月 |
鈴木通大「オビシヤ行事をめぐる諸問題―関東地方における事例を中心に―」本文 [史料紹介] 嶋村元宏「阿部家旧蔵「別段風説書」について―ペリー来航前夜の世界情勢―」本文 寺嵜弘康「米国博物館と現代資料」本文 |
20号 1994(平成6)年3月 |
塩澤寛樹「千葉・蓮蔵院聖観音立像について」 鳥居和郎「北条氏康書状における特殊な封式について―溝ノ内折と糊付の関連をめぐって―」本文 嶋村元宏「幕末通商外交政策の転換」本文 |
19号 1993(平成5)年3月 |
塩澤寛樹「南足柄市・保福寺薬師如来坐像について―東国十一世紀彫刻の一例として―」本文 鳥居和郎「後北条氏領国下における参詣活動について―相・甲間の導者の往来を視点として―」本文 寺嵜弘康「地租改正事務局の一考察―七等出仕片山重範の活動を通して―」本文 横田洋一「三代広重と文明開化の錦絵(二)」本文 |
18号 1992(平成4)年3月 |
國平健三「「相模型坏」出現期の意義―柏ヶ谷長ヲサ遺跡の出土品を例に挙げて―」本文 塩澤寛樹「川崎市・能満寺聖観音菩薩立像について」 鈴木通大「神奈川県下にみられる盆の砂盛り習俗について」本文 [研究ノート] 寺嵜弘康「天皇機関説排撃運動の地域的展開(1)―神奈川県における国家主義団体の動向を中心に―」本文 [史料紹介] 國 雄行「『阿部家資料』収蔵「英国侵犯事略並和解」について」本文 |
17号 1991(平成3)年3月 |
鈴木通大「柳田國男と神奈川の民俗学研究Ⅰ―郷土会の内郷村調査を中心に―」本文 [研究ノート] 岩壁義光「『阿部家資料』収蔵「馬蹄鉄進上」について」本文 |
16号 1990(平成2)年3月 |
[史料紹介] 岩壁義光「明治初期における在留清国人籍牌関係資料―外務省記録『在留清国人民籍牌規則並ニ実施一件』」本文 |
15号 1989(平成元)年3月 |
納富常天「五山版「地蔵菩薩本願経」について」本文 鈴木通大「神奈川県下における稲作儀礼について」本文 [史料紹介] 鳥居和郎「北条氏規「掟書」について」本文 岩壁義光「幕末・明治初期の在留清国人取締関係資料について ―外務省記録『条約未済国及清国人取締方参考書』―」本文 |
14号(別冊) |
『平木家文書目録』本文 |
14号 1988(昭和63)年3月 |
薄井和男「津久井地方の仏像彫刻」 塩澤寛樹「厚木市・延命寺菩薩立像二躯について」 相澤正彦「坂東報恩寺本親鸞聖人伝絵の現状と問題点」 岩壁義光「在日米国総領事報告―日清戦時下の居留清国人―」本文 |
13号 1987(昭和62)年3月 |
岩壁義光「日本人女性の対清国人婚姻形態と子女就籍問題について ―日清戦中戦後を中心に―」本文 鳥居和郎「臨済宗円覚寺派正安寺に伝来する「報恩講」について」本文 加藤隆志「畑作と「ツカ」―相模原台地の事例を中心に―」本文 相澤正彦「飯田家所蔵の菊地容斎書画類」 横田洋一「三代広重と文明開化の錦絵(一) 附、三代広重下絵画稿類」本文 |
12号 1985(昭和60)年3月 |
鳥居和郎「相模国における真宗教団の展開 ―「寺院の造立」を視点として―附、大谷大学所蔵『申物帳』」本文 鈴木良明「近世御免勧化と寺社の格合―御免勧化に対する寺社側の意識―」本文 橋本健一郎「双六に見る旅案内 ―北斎画「鎌倉、江ノ島、大山新板往来雙六」を中心として―」本文 横田洋一「中国におけるチャールズ・ワーグマン」本文 岩壁義光「明治十一年巴里万国博覧会と日本の参同」本文 鈴木通大「神奈川県下の畑作儀礼について―事例報告を中心に―」本文 |
11号 1983(昭和58)年3月 |
神沢勇一「日本における骨卜、甲卜に関する二、三の考察―先史古代の卜骨・卜甲と近世以降の諸例との比較検討を中心に―」本文 鈴木通大「日本民俗学と民具研究の軌跡 ―民具研究をめぐる柳田国男と渋澤敬三を中心に―」本文 |
10号 1982(昭和57)年3月 |
阿部正道「相模国三浦氏と周防国 ―三浦義澄と平子重経―」本文 鈴木通大「神社合祀後における〈分祀〉について ―神奈川県下の民俗事例をもとに―」本文 斉藤彦司「関東形式と箱根山の石塔類について」本文 |
9号 1981(昭和56)年3月 |
清水真澄「建長寺木造大覚禅師像と「玉眼」の問題」 神沢勇一「貝庖丁の再検討 ―神奈川県三浦市間口洞窟遺跡出土例を中心に―」本文 |
8号 1979(昭和54)年3月 |
中島亮一「荘厳房行勇の出自と鎌倉往来をめぐる諸問題」 |
7号 1977(昭和52)年3月 |
阿部正道「神奈川県内の鎌倉街道概説―県内「京都鎌倉往還」を中心に―」本文 |
6号 1974(昭和49)年3月 |
斉藤彦司「神奈川県下の石造宝塔について」本文 |
5号 1972(昭和47)年3月 |
神沢勇一・川口徳治朗「間口洞窟遺跡出土の貝刃 ―弥生時代における貝刃の存在例について―」本文 八幡義信「鶴岡八幡宮相撲職関連文書について ―散逸した古文書の出現―」 |
4号 1971(昭和46)年3月 |
神沢勇一・川口徳治朗「東京湾沿岸地域出土の貝刃について」本文 大戸吉古「横浜開港のひとつの前提 ―弘化3年の歴史的意義について―」本文 赤星直忠「ほしいもの」本文 |
3号 1970(昭和45)年3月 |
神沢勇一「貝庖丁に関する二三の考察」本文 大戸吉古「万延元年における横浜居留地に関する一考察」本文 横田洋一「チャールズ・ワーグマンについての一考察」 八幡義信「鎌倉幕政における安達盛長の史的評価」本文 斉藤彦司「葉山町の石川家墓地にある江戸時代の宝篋印塔について」本文 |
2号 1969(昭和44)年3月 |
神沢勇一「吉井貝塚出土の打痕を有する角器の一群について」本文 神沢勇一・川口徳治朗「梶山貝塚出土の貝刃について」本文 和田正洲「摘み田と田植」本文 加賀ひろ子「漁村における麻糸撚りの技術」本文 斉藤彦司「朝倉能登守夫人墓石造宝篋印塔の造立年代について」本文 清水真澄「関東の院派仏師について」 |
1号 1968(昭和43)年3月 |
神沢勇一「相模湾沿岸地域における弥生式土器の様相について」本文 |