第一回 川崎宿 | おうちでヒロシゲ! 大正の広重-江戸の広重

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神奈川県鳥瞰図

 第一回 川崎宿(令和3年8月3日公開)

神奈川県鳥瞰図(川崎宿部分)

神奈川県鳥瞰図(川崎部分)

パンチのかみ初回は川崎じゃ。多摩川が描かれており、「川崎大師」の文字の上、画像の中央には川崎河港水門も見えるのう。「穴守」と書かれているところには「TOKYO AIR PORT」と書かれているのう。

カメ今の羽田空港のあたりですね!「大師競馬場」なんて記載もありますね!昭和7年には大師にも競馬場があったんですね。

東海道五拾三駅名所 川崎宿大師河原真景(天保末期 初代歌川広重)

東海道五拾三駅名所 川崎宿大師河原真景(天保末期 初代歌川広重)

パンチのかみこちらは天保末期、江戸時代に描かれた初代歌川広重の「東海道五拾三駅名所 川崎宿大師河原真景」じゃ。

カメ手前に描かれている川は多摩川ですね!左下には船が描かれていますね!江戸時代は渡し船で多摩川を渡っていたんですね!

東海道五拾三駅 川崎 六郷舟渡し(慶応2(1866)年頃 二代広重)

東海道五十三駅 川崎六郷舟渡し(明治元年・2年 二代広重)

パンチのかみこちらは慶応2(1866)年頃に二代広重により描かれた「東海道五十三駅 川崎六郷舟渡し」じゃ。六郷は多摩川の河口部で川崎の対岸の地名じゃ。多摩川の下流域の別称「六郷川」もこの地名に由来しておるぞ。

カメ初代広重の浮世絵と比べて、河岸が大分整備されているようですが船で渡るのは変わっていませんね!

東海名所改正道中記 四 川崎 神奈川迄二り半 六郷川鉄道(明治8(1875)年 三代広重)

東海名所改正道中記 四 川崎 神奈川迄二り半 六郷川鉄道(明治8年 三代広重)

パンチのかみこちらは明治8年に三代広重によって描かれた「東海名所改正道中記 四 川崎 神奈川迄二り半 六郷川鉄道」じゃ。

カメ二代広重の描いた六郷と三代広重の差が激しすぎませんか!?立派な橋ができて汽車まで走っていますね!でも船もありますね。よく見ると橋は汽車しか通れないくらいの幅しかないですね。

神奈川県鳥瞰図(部分)

神奈川県鳥瞰図(川崎部分)
神奈川県鳥瞰図(川崎部分)
神奈川県鳥瞰図(川崎部分)

パンチのかみさて、では「神奈川県鳥瞰図」で二代広重と三代広重が描いた六郷付近を見てみようかのう?

カメ多摩川にある川崎河港水門の左側あたりが六郷ですよね~。川崎河港水門の左側に橋が3本ありますね!上流の黒い橋と真ん中の黄土色の橋の道は電車が描かれているから鉄道ですね。一番下流の薄茶色の橋の道は車が走っているから鉄道じゃなくて道路ですね!

パンチのかみよく気が付いたのう。上流の黒い橋は現在の東海道線じゃ。真ん中の黄土色の橋の線路は赤い電車が走っていて、「生麦駅」を越えたあたりに「京濱電鉄線」と書かれておるので今の京浜急行じゃ。薄茶色の橋はかつての六郷橋じゃな。

カメ江戸~明治、昭和、こうやってみると時代の流れが見えて面白いですね!

パンチのかみ次回は「神奈川宿」、現在の横浜市神奈川区あたりを見てみることにしようかのう。

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