おうちでヒロシゲ! 大正の広重-江戸の広重
第三回 保土ケ谷宿(令和3年10月26日公開)
神奈川県鳥瞰図(保土ケ谷宿部分)
第3回は「保土ケ谷」じゃ。神奈川県鳥瞰図では「児童遊園地」の文字が見えるのう。
児童遊園地は今でもありますね。細かいところまで描かれていますね。
東海道五拾三次 保土ケ谷 新町橋(天保4年頃初代広重)
こちらは天保4年頃に描かれた初代歌川広重の「東海道五拾三次 保土ヶ谷 新町橋」じゃ。
帷子(かたびら)川が描かれていますね!多摩川には橋はかかっていなかったのに帷子川にはかかっているんですね!
多摩川には何度か橋を架けたこともあるんじゃが流されてしまったのじゃ。
東海道五拾三駅 程ヶ谷 かたびら橋(慶応~明治2年 二代広重)
こちらは二代広重が描いた「東海道五拾三駅 程ヶ谷 かたびら橋」じゃ。初代歌川広重の描いた新町橋は「帷子橋」や「大橋」とも言われたのじゃ。
へえ!初代にも二代にも描かれている橋か~。今はどんな風になっているのかな?
そうじゃのう。ワターシも気になるのでカメよ、ちょっと見てまいるのじゃ。
かしこまりました!
旧帷子橋跡としてモニュメントがありましたよ!看板もあったので勉強してきました!
うむうむ。ご苦労じゃったのう。少しでも当時の面影が感じられるものが今も残っているというのは風情があるのう。
浮世絵を見ないで行くと見過ごしてしまいそうでしたが、浮世絵を見てから行ったので楽しかったです!
東海名所改正道中記 六 程が谷 戸塚迄二り九丁 境木の立場(明治8年2月三代広重)
続いて三代広重が明治8年に描いた「東海名所改正道中記 六 程が谷 戸塚迄二り九丁 境木の立場」じゃ。武蔵国と相模国の堺だから境木なんじゃな。
人力車が描かれていますね!よく見ると松の木に電信線がかかっていますよ!
なになに。左上には「山の端に茶屋あり松の生木ニはりがねかゝりかまくらやまの景色よろしく」と書かれているのう。はりがねとは電信線のことかのう。
明治になって日本の景色に、外国の文化が入ってきたんですね! 題名に出て来る「立場(たてば)」っていうのはどういう意味ですか?
立場というのは宿場と宿場の間にあって、旅人や人足などが休む場所のことじゃ。
保土ケ谷宿と戸塚宿の間の休憩所なんですね!お茶屋さんもありますね!鎌倉山の景色を見ながらお茶を飲んで休憩できるなんていいですね~。
そうじゃのう。次回は「戸塚宿」じゃ!
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