おうちでヒロシゲ! 大正の広重-江戸の広重
第四回 戸塚宿(令和3年12月17日公開)
神奈川県鳥瞰図(戸塚宿部分)
第四回は戸塚じゃ。神奈川県鳥瞰図の戸塚部分を紹介するぞ。
戸塚で道が二つに大きく分かれていて一方は大船、鎌倉、一方は藤沢の遊行寺のほうにつながっていますね。
東海道五拾三次之内 戸塚 元町別道(天保4年頃 初代歌川広重)
天保4(1834)年頃初代広重「東海道五拾三次之内 戸塚 元町別道」じゃ。真ん中の石柱には「左りかまくら道」と書かれているぞ。
左に行くと鎌倉へ、画面右側の橋を渡ると東海道の藤沢宿につながっていたんですね。
東海道五十三次細見図会 戸塚(弘化年間頃 初代歌川広重)
初代歌川広重の作品をもう一つ紹介しようかのう。弘化年間(1844~47)頃に描かれた「東海道五十三次細見図会 戸塚」じゃ。これは「旅籠屋の留女(とめおんな)」と「旅人」の様子を描いているのじゃ。宿屋の女性「留女」が嫌がる「旅人」をどうにかして宿屋に泊まらせようとしているのじゃ。
へえ!人物の表情は簡略化されていますが、嫌がっている旅人をどうにか宿屋に連れて行こうとしている様子がよく描かれていますね!上の部分は鳥瞰図ですね!
上の部分は戸塚の宿場町(左下)から藤沢宿(左上)までの様子じゃな。神奈川県鳥瞰図の富士山と戸塚宿の位置関係と細見図会を見比べてみるのもおもしろいぞ。
神奈川県鳥瞰図(富士山―戸塚宿部分)
東海道五拾三駅 六 戸塚 焼餅坂(慶応元年 二代歌川広重)
慶応元(1865)年に二代広重が描いた「東海道五拾三駅 六 戸塚 焼餅坂」じゃ。
ここでも富士山が大きく描かれていますね!手前に描かれている山並みは丹沢だから富士山は多少デフォルメされて描かれているのかもしれませんね。
東海名所改正道中記 七 戸塚 山道より不二之眺望 藤沢迄二リ(明治8年 三代歌川広重)
明治8(1875)年に三代広重が描いた「東海名所改正道中記 七 戸塚 山道より不二之眺望 藤沢迄二リ」じゃ。
ここでも富士山が描かれていますね!保土ケ谷は松の木に電線がかかってましたが、戸塚では電柱が立ってますね!
日本初の電信線は、明治2年に東京・横浜間に架設されたが、ここに描かれているのは、明治6年に開通した東京・長崎間の電信線ではないかな。昔は木製の電柱が多かったが次第にコンクリート製に、今では無電柱化が行われているところも多いのう。富士山が見える坂も少なくなってきてしまっているようじゃし、時の流れを感じるのう。
次回は「藤沢宿」だよ!楽しみにしていてね!
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