第五回 藤沢宿 | おうちでヒロシゲ! 大正の広重-江戸の広重

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神奈川県鳥瞰図

第五回 藤沢宿(令和4年1月26日公開)

神奈川県鳥瞰図(藤沢宿部分)

神奈川県鳥瞰図(藤沢部分)

パンチのかみ今回は藤沢宿じゃ。「神奈川県鳥瞰図」には鎌倉の長谷大仏が描かれているのう。

神奈川県鳥瞰図(部分)

カメ長谷大仏の向こうには遊行寺が描かれていますね。あ!江の島も描かれていますね!

パンチのかみ「神奈川県鳥瞰図」の完成後に作成された神奈川県の観光案内パンフレットである「神奈川県観光図絵」では江の島についてより多くのことが書かれているのじゃ。

カメへえ!なんででしょうね?

パンチのかみ「神奈川県観光図絵」の販売者の一人に江の島で貝細工商を営む人がいたので、その人への配慮もあったのかもしれないのう。

カメなんだか江の島に行きたくなってきたなあ!

パンチのかみでは東海道番外編で江の島の浮世絵も見てみるかのう。

神奈川県鳥瞰図(江の島部分)

神奈川県鳥瞰図(江の島部分)

相州江之島弁才天開帳参詣群集之図(弘化4~嘉永3(1847~1850)年・初代歌川広重)

相州江之島弁才天開帳参詣群集之図(弘化4~嘉永3(1847~1850)年・初代歌川広重)

七里か浜遊覧之図(万延元(1860)年・二代歌川広重)

七里か浜遊覧之図(万延元(1860)年・二代歌川広重)

東京常磐津総師匠江の島参詣の図(明治8(1875)年・三代歌川広重)

東京常磐津総師匠江の島参詣の図(明治8(1875)年・三代歌川広重)

カメわあ!どの浮世絵からも江の島付近が観光で賑わっていたことがわかりますね!

パンチのかみ江島弁財天に音曲の上達を願って参拝する女性も多かったのじゃ!

カメ「神奈川県鳥瞰図」では江の島へ渡る橋が描かれていますが、歌川広重たちの浮世絵ではまだ橋は描かれていないですね!昔はこんな道だったんですね~。

パンチのかみかつて江の島への道は満潮の時は渡れず、引き潮のときにしか渡ることができなかったのじゃ。

東海道五拾三次之内 藤沢 遊行寺(天保4年頃 初代歌川広重)

東海道五拾三次之内 藤沢 遊行寺(天保4年頃 初代歌川広重)

パンチのかみさてそろそろ東海道の浮世絵に戻ろうかのう。こちらは初代歌川広重の「東海道五拾三次之内 藤沢 遊行寺」じゃ。手前に描かれている鳥居は江の島の一の鳥居じゃ。

カメ「遊行寺坂」は箱根駅伝のコースにもなっていますね!橋の上の人は何か大きな刀を持っていますね!

パンチのかみ大山に奉納するための太刀じゃな。手前の鳥居を通りかかっている男性たちは連なって歩く様子から目の不自由な人と考えられるのじゃ。江の島は鍼の名医であった杉山検校(和一)ゆかりの地で、目の不自由な人たちの信仰を集めていたのじゃ。

カメへえ!大山にお参りする人と、江の島にお参りする人とここで分かれるのですね!この一枚の浮世絵で人々がこれから向かう先も分かるんですね!

東海道 藤沢(文久3(1863)年 二代歌川広重)

東海道 藤沢(文久3(1863)年 二代歌川広重)

東海名所改正道中記 八 藤沢 平塚迄三リ半 江のしまみちの鳥居(明治8(1875)年三代歌川広重)

東海名所改正道中記 八 藤沢 平塚迄三リ半 江のしまみちの鳥居(明治8(1875)年三代歌川広重)

パンチのかみどれも手前に江の島の鳥居、奥に遊行寺と言う構図は共通しているのう。

カメ遊行寺は藤沢宿の象徴なんですね!三代広重の浮世絵では橋が大分近代的になっていますね!

パンチのかみそうじゃのう。人力車や、橋の造りに文明開化を感じられるのう。

カメ二代歌川広重の「東海道 藤沢」と三代歌川広重の「東海名所改正道中記 八 藤沢 平塚迄三リ半 江のしまみちの鳥居」は2022年1月26日現在常設展2階テーマ3近世で展示中だよ!

パンチのかみ次回は「平塚宿」じゃ!楽しみにしていてほしいのう!

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