おうちでヒロシゲ! 大正の広重-江戸の広重
第六回 平塚宿(令和4年3月25日公開)
神奈川県鳥瞰図(平塚部分)
これは「神奈川県鳥瞰図」の平塚部分じゃ。
相模川に大きな橋が描かれていますね!「SHONAN PARK WAY」の文字も見えますね!
「湘南公園道路」、現在の「神奈川県道片瀬大磯線」のことじゃな。ただ「神奈川県鳥瞰図」が描かれた1932(昭和7)年には「湘南公園道路」は完成していなかったのじゃ。
え!こんな立派に描かれているのに!?
湘南公園道路は、1931(昭和6)年に工事が始まり、1936(昭和11)年10月に開通したのじゃ。
じゃあ「神奈川県鳥瞰図」に描かれている「SHONAN PARK WAY」は完成予想図なんですね!
そうなるのう。詳細が知りたい人はこちら(研究報告掲載研究ノート)を参照じゃ!
東海道五拾三次 平塚 馬入川渡舟(天保(1830~44年)末期 初代歌川広重)
初代歌川広重「東海道五拾三次 平塚 馬入川渡舟」じゃ。
馬入川って相模川のことですよね!
江戸時代、幕府は大きな川に大人数が渡れるような恒常的な橋をかけることを禁止したのじゃ。だから人々は船で川を渡っていたのじゃ。明治初期に相模川に橋ができるまで馬入の渡しの伝統は続いたのじゃ。
そういえばぼくはお正月に相模川に行って来たんですよ。今は立派な橋ができていて、富士山がとてもきれいでしたよ!
おお!富士山がきれいに見えるのう。江戸時代はここを船で渡っていたのを想像すると楽しいのう。
東海道 平塚(文久3(1863)年 二代歌川広重)
東海名所改正道中記 九 平塚 馬入川の渡し 大磯迄廿七丁(明治8(1875)年 三代歌川広重)
続いて二代歌川広重「東海道 平塚」、三代歌川広重「東海名所改正道中記 九 平塚 馬入川の渡し 大磯迄廿七丁」じゃ。
あれれ?三代広重の絵では人力車が乗った渡し船が描かれているのに、二代広重では立派な吹き流しを掲げた人たちが橋を渡っていますよ!パンチの守さま!さっきと言っていることが違うのでは?
二代広重の絵に描かれている大名行列は文久3(1863)年の十四代将軍家茂の上洛を暗示したものじゃ。絵では木橋を渡っているが、この時、実際には船をたくさん並べてその上に板を並べた船橋が架けられて、その上を渡ったのじゃ。
そうなんですね!ついつい実際の景色が描かれているんだと思いがちですが、神奈川県鳥瞰図の「SHONAN PARK WAY」も二代広重の橋も、いろんな時代背景があって、その時点の実際の景色や人物ではないものが描かれていることもあるんですね!
そうじゃのう。鳥瞰図や浮世絵に限らず、作品を見るときは描かれているものをただ「きれいだな」と思うだけではなく「どんな作者で、どんな時代背景で描かれたんだろうか」と考えてみると面白いぞ。
なるほどですね!次回は第7回「大磯宿」だよ!
おいおい。ワターシにはまだ言いたいことがあるのじゃ!これまで「神奈川県鳥瞰図」に沿って県内の東海道の宿場町の浮世絵を見てきたが、なんと「神奈川県鳥瞰図」を見ることができる特別展を下記の日程で開催するぞ!
特別展「地図最前線―紙の地図からデジタルマップへ-」
【前期】2022年7月16日(土)~8月14日(日)
【後期】2022年8月16日(火)~9月25日(日)
わあ~!実際の「神奈川県鳥瞰図」が見られるんですね!楽しみだな~!
神奈川県鳥瞰図だけでなく、主に近現代の「紙の地図」に焦点を当て、地図を作り、使う人たちの活動を紹介するぞ。それぞれの時代の地図を振り返って「人」と「地図」の歩みを考えてみてはいかがかのう?
わぁ~!たのしみだな!「地図」は誰もが一度は関わったことがあるものですし、改めて「地図」について考えてみるのも面白そうですね!
前期は神奈川県鳥瞰図の複製の展示になるので注意してくれ。
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