おうちでヒロシゲ! 大正の広重-江戸の広重
第二回 神奈川宿(令和3年9月7日公開)
神奈川県鳥瞰図(神奈川宿部分)
第二回は「神奈川宿」じゃ。現在の横浜市神奈川区あたりじゃが、せっかくだから横浜の港付近を全体的に見ていこうかのう。海にはたくさんの船が描かれておるのう。大桟橋には豪華客船がついているようじゃ。
建物もたくさん描かれていて栄えていますね~。横浜駅やHOTEL NEWGRAND、三溪園などいまでもなじみのあるものも描かれていますね。でも横浜駅のすこし向こうは山や緑が多いですね。
三溪園の左側には「根岸競馬場」の文字があるのう。
磯子のあたりには「水族館」の文字もありますよ。磯子にも水族館があったんですね!亀もいたのかな?細かく見ていくと面白いですね。
「神奈川県観光図絵」(昭和9(1934)年の表紙)
ワンワン、パンチの守さま、これは浮世絵じゃないみたいですが何ですか?
これは「神奈川県観光図絵」じゃ。「神奈川県鳥瞰図」は昭和7(1932)年に国内外の観光客誘致を目的として、神奈川県観光連合会から委嘱を受けた吉田初三郎が絹地に描いて作成したものなのじゃ。その「神奈川県鳥瞰図」を原画として、「神奈川県観光図絵」という観光案内の印刷物が作られたのじゃ。
へえ!う~ん?描かれている女性の背景、どこかでみたことがあるような?
カメよ、よくわかったのう!どこかで見た絵と言うのはこれのことじゃろう?
東海道五拾三次之内 神奈川 台之景(天保4(1833)年頃 初代歌川広重)
こちらは天保4(1833)年頃の初代歌川広重の「東海道五拾三次之内 神奈川 台之景」じゃ。
あ!これだ~!「神奈川県観光図絵」の表紙の背景にそっくりですね!
「神奈川県観光図絵」の表紙はこの「東海道五拾三次之内 神奈川 台之景」をモチーフにしたものだったのじゃ。「大正の広重」が「初代歌川広重」を意識したんじゃろうな。
横浜風景一覧(文久元(1861)年 二代歌川広重)
こちらは文久元(1861)年の二代歌川広重の「横浜風景一覧」じゃ。
黒船が描かれていますね!奥に見えるのは本牧ですね。港に二カ所出っ張っているところがありますが、奥の方が現在の象の鼻あたりかな?
当時はまだ象の鼻のかたちではなくて、「イギリス波止場」などと呼ばれていたのじゃ。
横浜海岸通之図(明治3(1870)年 三代歌川広重)
こちらは明治3(1870)年出版の三代広重の「横浜海岸通之図」じゃ。
とても活気がありますね!象の鼻もだんだん象の鼻の形になってきていますね!やや、空が赤いですよ!
「横浜海岸通之図」の空の赤さはまだまだ序の口、明治期にはこれよりも、もっと空一面が赤い浮世絵がたくさん出版されたのじゃ。明治の東京の文明開化の様子を描いた赤い空の浮世絵を「赤絵」と呼ぶんじゃ。三代広重は赤い空の東京の風景もたくさん描いたんじゃ。
神奈川県鳥瞰図(部分)
さてカメよ、真ん中の青地に白で書いてある文字は何と書いてあるか読めるかのう?
ぼくは近所のことは何でも知っているんですよ!「県庁(けんちょう)」、神奈川県庁ですね!
これは簡単だったかのう。横浜市中区の関内地区には「横浜三塔」と総称される近代の歴史的建造物があるのじゃ。
「横浜三塔」!知っていますよ!神奈川県庁本庁舎が「キングの塔」、横浜税関本関庁舎が「クイーンの塔」、横浜市開港記念会館が「ジャックの塔」ですよね!
そのとおりじゃ!「キング」「クイーン」「ジャック」は、昭和初期に横浜港へ入港した外国人の船員たちにより名付けられたと言われておるのじゃ。それぞれに特徴的な塔を持つこれらの建物は、港・横浜のシンボルとして今も親しまれているのじゃ。
当館では「神奈川県庁舎」の建設時に作成された図面を保管しているよ!詳細は2021年7月の「今月の逸品」を確認してね!
ちなみに当館の屋上のドームは「エースのドーム」とも呼ばれているのじゃ!次回は「保土ケ谷宿」じゃ!
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