第八回 小田原宿 | おうちでヒロシゲ! 大正の広重-江戸の広重

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神奈川県鳥瞰図

第八回 小田原宿(令和4年6月8日公開)

神奈川県鳥瞰図(小田原部分) 昭和7年(1932)

「東海道五拾三次之内 小田原 酒匂川」初代歌川広重 天保4年(1833)頃

「東海道五拾三駅 小田原 酒匂川」二代歌川広重 慶応元年(1865)

「東海名所改正道中記 十一 小田原 酒匂川の仮ばし 箱根迄四り八丁」三代歌川広重 明治8年(1875)

パンチのかみ「神奈川県鳥瞰図」(昭和7年)の小田原部分と初代歌川広重の「東海道五拾三次之内 小田原 酒匂川」(天保4年頃)、二代歌川広重の「東海道五拾三駅 小田原 酒匂川」(慶応元年)、三代歌川広重の「東海名所改正道中記 十一 小田原 酒匂川の仮ばし 箱根迄四り八丁」(明治8年)じゃ。

さてここで問題じゃ。初代歌川広重と二代歌川広重の浮世絵には描かれているのに、三代歌川広重の浮世絵と神奈川県鳥瞰図には描かれていないもので、現在は復元されている小田原の有名な名所があるぞ。何かわかるかのう?

カメありゃ?三代歌川広重の浮世絵と「神奈川県鳥瞰図」には有名な小田原城が描かれていませんよ!

パンチのかみ小田原城は、明治3年(1870)に廃城となり、明治5年までに多くの建物は解体されたのじゃ。さらに、大正12年(1923)9月の関東大震災により御用邸のほか石垣もほぼ全壊してしまったのじゃ。その後、昭和9年(1934)に隅櫓が再建され、昭和35年5月には天守閣が復興されたのじゃ。

カメだから昭和7年に作成された「神奈川県鳥瞰図」では「小田原城跡」と書かれているんですね!

パンチのかみ途中でなくなって、また復活するものもあるんじゃのう。当館では特別展「地図最前線-紙の地図からデジタルマップヘー」を7月16日(土)~9月25日(日)まで開催予定じゃ。特別展の後期8月16日(火)~9月25日(日)では「神奈川県鳥瞰図」を展示予定なのじゃ。ぜひ見に来てほしいのう。さて、次回はいよいよ最終回。「箱根宿」じゃ!

【特別展「地図最前線―紙の地図からデジタルマップへ-」】

  ウェブサイト https://ch.kanagawa-museum.jp/exhibition/7526

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